No.19

               
チャーチルとPol-Rogers夫人


「大酒飲みは多し」と言えども、W.W.U時のイギリスの首相
Winston Churchillに勝る人は少ないのではないか。

2016年4月1日のNPRが伝える所では(“April Fool”ではない)、
彼が妻Clementineを娶った1908年の1年間の発注歴が確認されている。

・ 当り年1895年のPol Rogerと言う銘柄シャンパン大瓶9ダースと中瓶7ダース、
 プラス1900年のPol Roger中瓶4ダース
・ St. Estephe(赤)ワイン大瓶を6ダース
・ ポートワイン4ダース
・ スパークリングのMoselle(白)ワイン7ダース

7項目あるうちの、初めの4項目だけで、これである。

NPRは、これらアルコール類のリストと一緒に、1927年1月の彼の猪狩りの時の写真を載せている。

ブーツを履き、帽子をかぶって、左手には長い鞭を持ち、
右手で寸暇を惜しんで、小型のフラスコからウィスキーを今正に飲まんとしている様子である
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しかも、首をかしげたくなるのが、こんな大酒飲みのくせに、彼が90歳と長生きだったことだ。

チャーチルの伝記No More Champagne : Churchill and His Moneyの作者も、

「これほどの世界的な有名人が、こんなに際限なくアルコールを消費し、
大変な借金漬けで、何とかやってられるものだネ」と感嘆している。

「常に確定申告の期限を守れていなかったチャーチルは、
ナチスを嫌がるのと同じほどに、税務署員を嫌がっていた。
(ナチスには勝ったが)税務署員からは生涯身を隠すようにしていた…」

とNPRは記している。

「時には金持ちの友人が、延滞金を払って助けてくれたし、
ある時などは(今日では考えらえないことだが)、政府が飲み代を決裁してくれた…」



流石のチャーチルも、債権者の追求に懲りて、たまにはベルトを締め直そうとしたこともあった。

前出の著者David Loughの本のタイトルの3語も、そんなあるとき(1926年)、
チャーチルが、妻Clementineに宛てたメモに書いた言葉を、そのまま借用している。


そんなチャーチルに、アルコール類一切を納めていた出入の酒屋がある。
「イギリス王室御用達」との看板
(By Special Appointment to Her Majesty The Late Queen Victoria…)
を掲げるロンドンの“Randolph Payne & Sons”である。

チャーチルには、かなりの貸しを与えていたが(…give a long rope)、
今の価値にして75000ドルに達した時は、会長がチャーチルに手紙を出していたという。


NPRは、チャーチルがこのように速く飲み代で借金にはまり込んだが、
そこから脱するのにも、ジャーナリストとして「書くこと」も、早かったとしている
(彼は、当時のイギリスの青年すべてと同じく、先ず軍隊を目指したが、戦記物を書くことの方に、情熱が向いていた)。


チャーチルが特に好んで飲んだのは、Giesler、Moet et Chandon、Pommeryなど、
フランスのシャンパン、中でも“Pol-Roger”の年代ものだった。

NPRは、毎年チャーチルの誕生日になると、彼より40も若い
魅力たっぷりなObette Pol-Roger (Wallace)(2000年に89歳で死去)から、
このPol-Rogerのケース(24本)が届けられた

(2人は、チャーチル夫人が大目に見る中での、ちょっとした仲だった。
彼女がチャーチルの葬儀に個人的に招かれた数少ない外国人の1人だった)と伝える
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**脚注**

1 もう1つの写真には、右にF. D. Roosevelt大統領、左にソ連のスターリン、
 世界の3巨頭と言う形で、イラン、テヘランのイギリス館での会食の様子を写している(1943年11月30日)。
 彼の69歳の誕生日を祝ってのことだという。偉大な友(a great friend)スターリンは、その後ずっと、彼にキャビアを送り続けた
 (しかし、チャーチルが「鉄のカーテン」(Iron Curtain)のスピーチをして以来(1946年3月5日)、それは止った)という。

2 そのObetteは、フランスの名家の出の将軍George(Wallace)の娘で、パリの社交界の花型女性であるが、
 シャンパンの醸造で有名なPol-Roger家のJacque(スポーツマン実業家)と若くして結婚して、
 Pol-Rogerの産地Epernayに住んだ(W.W.Uの間は、フランスのレジスタンスの伝令としても働き、
 時にはEpernayからParisまでを自転車で12時間かけて、走ったという(telegraph.co.jp)。


2016年4月8日