No.101

       フランクリンが貰ったルイ十六世からの贈物


1776年10月、当時の13州が何とか1つに纏まれて、
イギリス王に対し立上った革命戦争
(1775年4月20日に、今のボストン市20キロ西のレキシントン村などで、
駐在する王国軍との間で、既に殺し合いは始っていたが)。

その独立宣言から3ヶ月後のその時、
ベンジャミン・フランクリンはフランスに向け、大西洋を渡る苦難の旅に旅立った
(何しろ当時の航海の、筆舌に尽くせないほどの難儀に加え、彼は70歳と言う高齢者であった)。


それから9年、大使の役目を終えてアメリカに帰国するフランクリンに、
当時の慣わしに従って、ルイ十六世王からの贈物が贈られたが、
これがまた、王の肖像の周りを408個の(“highest water”つまり特別な輝きを持った)
ダイヤモンドで飾った大変な代物であった。

帰国したフランクリンの周りの人々はこれを見て、
建国の父祖らの何人かも含めて、「ひそひそ…」と囁き始めた。
何しろ建国の父祖らは、大変な覚悟、決心を持って人類史上前例のない「国造り」を目指していた。
「礼儀正しく、正義が保たれる社会を…」と、高遇な理想に燃えていた。

その彼らの前に存在していたのは、右も左も、全て君主国ばかり
…たった1つ遠い昔を見ると、そこに共和主義の原型となりうる模型、
ギリシャ・ローマがあった。

そこで父祖らは、立法府の上院をローマ式に“senate”と名付けたし、
国の紋章にも禿鷲
(bore eagle)を選んでいた。

だが、そこに1つ気掛かりな問題があった。
ローマの衰退と滅亡である。

建国の父祖らは、その原因を突き止めたと信じた。腐敗
(corruption)である。

そこで父祖らは、フランクリン帰国の翌年から始った建国の総仕上げ、
合衆国憲法制定に取りかかったときに、この報酬禁止規定
(Emolument Clause)を定めた(T9(8))。

そこには、政府の何らかの役職に就いている者は、すべて
“…shall not accept any present, emolument, office, or title,
of any kind whatever, from any king, prince or foreign state”
と定められている。


                                      2017年3月13日