●マドンナ以降のレジー・ルーカス

レジー・ルーカスが単独でプロデュースと曲作りを行ったマドンナの《ボーダーライン》
は、1984年6月に全米チャートのトップ10に入るヒットとなった。マドンナのデビュー・
アルバムの殆どの曲をプロデュースしたルーカスは、その生涯でもっとも大きな経済的成
功を手にしたことと思われる。以降のルーカスは、”成功したヒット・プロデューサーの
その後”のイメージにピッタリの道を歩んでいったように見える。ミュージシャンとして
の活動はせず、他人のプロデュースも殆ど行わないようになっていく。マドンナ以降の活
動を俯瞰すると、1984年はモデルズのシングル《ビッグ・オン・ラヴ》のプロデュースを
しているだけである。モデルズは、オーストラリアではかなり人気があるポップ/ロック
・グループのようだ。全米デビューの足がかりをマドンナのプロデューサー(ルーカス)
に任せるというアイディアは、残念ながらうまくいかなかったようである。
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■Madonna / Madonna 
 ルーカスが殆どの曲をプロデュースした、マドンナのデ
 ビュー・アルバム。マドンナは《ライク・ア・ヴァージ
 ン》で世界的な人気者となるが、このアルバムの《ボー
 ダーライン》や《ラッキー・スター》が先鞭をつけた。

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■Models / Out Of Mind Out Of Sight 
 《ビッグ・オン・ラヴ》を収録した、オーストラリアの
 グループのモデルズの4枚目かつ全米デビュー・アルバ
 ム。音楽性は異なるように思えるので、ルーカスがどの
 程度貢献したのかはよくわからない。

翌1985年には、ベテランのヴォーカル・グループのフォー・トップスをプロデュースして いる。改めて言うまでもなく、フォー・トップスは、テンプテーションズ、ミラクルズ、 シュープリームスらと並ぶ、60年代モータウンを代表するグループ。R&Bの世界の出身 のルーカスとしては、さすがにプロデュースに力が入ったように感じられる。モータウン から一度離れたフォー・トップスが、再びモータウンに戻りリリースした『マジック』と いうアルバムで、ルーカスは3曲プロデュースを行っている。ルーカスが提供した1曲の 《ドント・ターン・アウェイ》は、60年代のモータウンのヒット曲の楽しい雰囲気を感じ させつつ、80年代ポップス特有のフレッシュさも持ち合わせたなかなかの傑作だと思う。 カルデラのエドゥアード・デル・バリオが作った《メイビー・トゥモロウ》では、かつて プロデュースしたフィリス・ハイマンと再び一緒に仕事をしているのも興味深い。
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■Four Tops / Magic 
 フォー・トップスが1985年に古巣のモータウンからリリ
 ースしたアルバム。ルーカスの他には、ジャクソン5の
 《アイル・ビー・ゼア》の作者の1人のウィリー・ハッ
 チなどがプロデューサーとして参加。

1986年に入ると、最新鋭の機材を投じた自らがオーナーのレコーディング・スタジオが、 ルーカスの音楽制作の拠点となってくる。同時に、シンクラヴィアというサンプリングが 可能なデジタル機器を使いはじめる。シンクラヴィアのような1台で音楽制作のほとんど がまかなえる高価なデジタル機器は、プロデュースする曲を自分自身のサウンドにしたい ルーカスのようなタイプのプロデューサーにはうってつけだったと思われる。1986年には マイケル・ジャクソンのお姉さんのレビー・ジャクソンの『リアクション』、およびクル セイダーズとの共演で日本でも人気があったランディ・クロフォードの『アブストラクト ・エモーションズ』に係わっている。クロフォードのアルバムは、マドンナ以降で初めて ルーカスが殆どの曲をプロデュースしたアルバムとなっている。自らのスタジオと高価な 機材が、ルーカスの音楽制作へのモチベーションを高めたのではと想像する。
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■Rebbie Jackson / Reaction 
 マイケル・ジャクソンの兄妹のなかではの最年長者の、
 レビー・ジャクソンの2枚目のアルバム。ルーカスは、
 自らのスタジオに於いて、シンクラヴィアを使用して
 3曲のプロデュースを行っている。

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■Randy Crawford / Abstract Emotions 
 マドンナ以降、久しぶりに全体のプロデュースを行った
 ランディ・クロフォードのアルバム。日本のトレンディ
 ・ドラマの主題曲としても使用された《アルマズ(邦題
 :スイート・ラヴ)》収録。

しかし、残念ながらジャクソンの『リアクション』やクロフォードの『アブストラクト・ エモーションズ』に収録された音楽は、あたりさわりのないポップスに聴こえてしまう。 ステファニー・ミルズやマドンナのプロデュースで感じることができた、ダンサンブルな ポップスの新鮮な魅力を感じることができない。どこかで聴いたような曲を、デジタル上 でつくり替えたように聴こえてしまう。高価なデジタル機器を使用した楽曲制作によって 、音楽そのものより、サウンドをつくることが目的になってしまっていたのではないか。 それまでは人間が演奏していたホーン、ストリングス、リズム・セクションなどと同等、 またはそれ以上のサウンドをデジタル機器の上に作りあげることだけに、高価なデジタル 機器を使用していた多くのミュージシャンが陥っていたように見える。それが、結果的に ルーカスのプロデュースする曲の魅力を減らしてしまったように思えるのである。
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■Dionne & Friends / That's What Friends Are For 
 80年代風サウンドでも曲が良ければ強い印象となる好例
 が、ディオンヌ・ワーウィックがスティーヴィー・ワン
 ダー、グラディス・ナイト、エルトン・ジョンと共に、
 バカラックの曲を歌った1986年全米No.1のこの曲。

以降のルーカスは、白人女性歌手のエリッサ・フィオリロ、白人男性歌手のジョン・アダ ムスの、黒人女性歌手バニー・デバージ、黒人女性2人組のヴォーカル・グループのウェ ザー・ガールズのアルバムなどで、ちょこちょことプロデュースを行うだけの人になって いく。1989年には、黒人女性歌手コンスティナの『コンスティナ』というアルバムを久し ぶりに全曲プロデュースしているが、俳優のニック・スコッティのアルバムに係わったの を最後に、ルーカスは音楽の表舞台にはでなくなってしまう。これらのプロデュース曲に 共通しているのは、ポップ・チャートを意識したダンサンブルなエレクトロ・サウンド。 マドンナ以降のルーカスは、黒人の日常感覚を意識した音楽に戻っていったエムトゥーメ とは音楽的に異なる方向を向いていたように感じる。ルーカスともし話せる機会があれば 、なぜそのような方向に向かっていったのか訊いてみたい気がするのである。
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■Elisa Fiorillo / Elisa Fiorillo 
 プリンスのアルバムへのゲスト参加などでも知られる、
 フィオリロ。ルーカスは、《ギミ・スペシャル・ラヴ》、
 《フォーギヴ・ミー・フォー・ドリーミング》、《モア・
 ザン・ラヴ》など3曲をプロデュース。

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■John Adams / Strong 
 プライヴェート・リヴズというイギリスのグループにい
 たアダムス。《ストロング》、《ホワット・ドゥ・ユー
 ・ウォント・フロム・ミー》、《サムワン・トゥ・ビリ
 ーヴ・イン》、《ホールド・バック・ザ・ティアーズ》
 の4曲をルーカスがプロデュース。 
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■DeBarge / The Definitive Collection 
 ルーカスがプロデュースしたエル・デバージの姉バニー
 の《ダンス・オール・ナイト》という曲を含むデバージ
 ・ファミリーのコンピレーション。フォー・トップスで
 モータウンとの係わりができた関係で参加したのかも。

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■The Weather Girls / The Weather Girls 
 《イッツ・レイニング・メン》などのディスコ・ヒット
 で知られるウェザー・ガールズ。ルーカスは、《オポジ
 ット・デレクションズ》、《バーン・ミー!》、《サム
 シング・フォー・ナッシング》の3曲をプロデュース。

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■Constina / Constina 
 1989年のコンスティナのアルバム。マドンナやミルズの
 系列に連なる甘い歌声はルーカスのポップな楽曲と合う。
 久しぶりの全曲プロデュースに、力の入り具合も感じる。
 この方向でもっといっても良かったと思う。

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■Nick Scotti / Nick Scotti 
 90年代に入ってからのルーカスの珍しいプロデュース。
 初代エムトゥーメの盟友ヒューバート・イーヴスと共に
 《ライフ・イズ・ホワット・ユー・メイク・イット》と
 《フィール・ザ・ニード》の2曲を担当している。

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■Jennifer Holliday / No Frills Love 
 ブロード・ウェイ出身の女優ジェニファー・ホリディ。
 1996年にリリースされた12インチ・シングルのB面に、
 ルーカス・プロデュースの《アップ・ジャンプド・ラ
 ヴ》が未発表曲として収録された。パット・メセニーの
 ようなハーモニカ・ライクなソロが珍しい。
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