マイルス・デイヴィスの音楽におけるファンク(もしくはファンク的な要素)について、 『オン・ザ・コーナー』以前にも遡ってみたい。デイヴィスの音楽に、ファンク的な要素 が最初に現れてくると思うアルバムは、『フィレス・ディ・キリマンジャロ(邦題:キリ マンジャロの娘)』というアルバムである。しかし、このアルバムに収録されている全て の曲に、ファンク的な要素を感じるわけではない。このアルバムには、大きく分けて2種 類のメンバーによる演奏が収録されているが、ファンク的な要素を感じるのはチック・コ リアとデイヴ・ホランドを入れて1968年の秋にレコーディングされた2曲である。なかで も、とくに強くファンク臭を放っているのが《フレロン・ブルン》(このアルバムは、全 ての曲のタイトルがフランス語になっている。英語表記では《ブラウン・ホーネット》) という曲だ。 《ブラウン・ホーネット》のどこにファンク臭を感じるのかというと、やはりベース・ラ インである。このときのデイヴィスのグループは、60年代前半からデイヴィスが率いてき たクィンテット(トランペット、サックス、ピアノ、ベース、ドラムス)の編成だ。普通 のジャズのグループの場合、曲の作者が指定したい場合を除けば、ベース・ラインはベー シストが自由に決めるのであろう。デイヴィスのそれまでのクィンテットも、例外ではな い。しかし、《ブラウン・ホーネット》では、ベースのホランドのみならず、コリアのエ レクトリック・ピアノも低音部で同じベース・ラインを弾いている。つまり、ベース・ラ インはあらかじめ作曲されている。《ブラウン・ホーネット》は、ベースとエレクトリッ ク・ピアノの低音部の演奏により、極めて低音が強調されたサウンドになっているのであ る。こうした演奏手法は、それまでの一般的なジャズ演奏とは次元がちがっている。 《ブラウン・ホーネット》は、さらにビートに注目したい。デイヴィスとサックスのウェ イン・ショーターが吹くメロディは、R&Bっぽい8ビート感覚のメロディである。しか し、ドラムスのトニー・ウィリアムスが叩きだしている風雲急を告げるようなビートの感 覚は、明らかにその倍(16ビート)である。このドラムスによるビート感覚は、天才的 な感覚をもつウィリアムスだけに偶然かもしれないが、新しくメンバーに加わったばかり のコリアとホランドによるベース・ラインは、サウンド上の効果の点でも、バンドの力関 係の点でも、デイヴィスの指示によるものと考えるのが妥当と思われる。デイヴィスが早 くからベース・ラインに着目していたことは、その後のデイヴィスとファンクの関係を考 えるにあたって重要である。その点において《ブラウン・ホーネット》は、デイヴィスと ファンクの関係のスタート地点に思えるのである。