チャビー・チェッカーの名前は、いまどのくらい知られているのでしょう。レイ・チャー ルズ、サム・クックなど同年代に活躍していた黒人シンガー達の名前は比較的に知られて いるような気がしますが、チェッカーの名前は、よほどオールディーズに詳しい人でない かぎり知らないのではないでしょうか。チャビー・チェッカー(本名:アーネスト・エヴ ァンス)、サウス・カロライナ州の生まれの黒人シンガーです。1941年生まれですから、 年齢はジョン・レノンよりもひとつ年下。最初のレコーディング・セッションで、ステー ジ・ネームを決める際に、「友達はボクを”チャビー”(ふとっちょ)って呼ぶよ」と答 えたら、《エイント・ザット・シェイム》のヒットで有名なニュー・オーリンズR&Bの 大御所ファッツ・ドミノにひっかけて「チャビー・チェッカーがいいんじゃない?」とい うノリで名前が決まったという逸話を持っています。 そのチェッカーが1960年に全米チャートのNo.1の座に送りこんだのが、《ザ・ツイスト( 邦題:ツイストNo.1)》です。《ザ・ツィスト》は、同じく1960年の全米チャートで《フ ィンガー・ポッピン・タイム》のヒットを出すR&Bグループのハンク・バラッド&ザ・ ミッドナイターズのシングルのカヴァーでしたが、B面だったためかそれほど注目されず におわりました。チェッカーのヴァージョンは、1960年のTVショウで披露されるやジワ ジワと人気があがり、その結果No.1を獲得しています。そればかりでなく、チェッカーの 《ザ・ツィスト》は、なんと1962年の1月にも再度全米No.1になっています。1960年当時 はツイストは若者の間のダンス・スタイルでしたが、1962年にはニューヨークを中心にし て老若男女にまでひろがり、社会現象の様相を呈していました。いかにブームだったとは いえ、2回も全米チャートでNo.1になった曲というのはそうはないのでしょうか。 じゃあその《ザ・ツィスト》がどのような曲かというと、確かにこれといって特徴のない ロックンロールなのです。同じチェッカーのヒット曲ならば、大滝詠一が《レッツ・オン ド・アゲイン》としてオリジナルといってもよいレベルでカヴァーをした《レッツ・ツイ スト・アゲイン》のほうが曲としてできがよい気がします。全米チャートで2回No.1を獲 得したとはいえ、これではチェッカーがロック史に残らないのしかたない気もします。で は注目すべきところが全くないのかというと、決してそんなことはありません。ぼくが初 めて《ザ・ツィスト》を聴いたときに思ったことは、ビーチ・ボーイズの曲に似ていると いうことでした。時系列的な流れから考えても、ブライアン・ウィルソンが影響を受けた ということは十分に考えられます。その他にジョニ・ミッチェルが作った映画「いちご白 書」の主題歌《サークル・ゲーム》の歌詞も、この曲にヒントを得たのかもしれません。