ハーマンズ・ハーミッツの《ミセス・ブラウンのお嬢さん》、マーヴィン・ゲイの《アイ ル・ビー・ドッゴーン》、フィル・スペクターのプロデュースによるライチャス・ブラザ ーズの《ジャスト・ワンス・イン・マイ・ライフ》といった曲が全米チャートでヒットし ていた1965年の5月、ひとりのアーティストが初めて全米トップ40圏内に入るヒットを飛 ばします。ボブ・ディランの《サブタレニアン・ホームシック・ブルース》です。それま でのディランは、ピーター、ポール&マリーの歌った《風に吹かれて》のヒットはあった ものの、自身のパフォーマンスによるトップ40圏内にチャート・インしたヒット曲は、《 サブタレニアン・ホームシック・ブルース》がはじめてでした。1962年にデビューしたデ ィランは、プロテスト・ソングを歌うフォーク界のプリンスとして、次第に一般大衆や業 界注目を集める存在になっていったようです。 時代背景はともかく、ぼくが初めてロックとしてのディランを聴いたのも、《サブタレニ アン・ホームシック・ブルース》がきっかけです。音楽評論家の渋谷陽一さんが1970年代 にやっていたラジオ番組でやった「ロックの歴史特集」の中で、ビートルズの《プリーズ ・プリーズ・ミー》、ビーチ・ボーイズの《サーフィン・USA》、アニマルズの《朝日 のあたる家》などに続いて流れたのが、ディランの《サブタレニアン・ホームシック・ブ ルース》でした(当時から、ビーチ・ボーイズやディランを「ロック」の文脈の中で捉え ていた渋谷さんの慧眼には頭がさがります)。しかし、《サブタレニアン・ホームシック ・ブルース》の印象は、けっして良いものではありませんでした。バックの演奏が間違っ た音を弾いているものをそのままにしているところがあることから、”雑なつくりの曲” という印象だったのです。だから、すぐにはディランに夢中になりませんでした。 実は”雑なつくりの曲”という印象は、いまでも変わりません。しかしいまは、フィーリ ングを大事にしたディランが、わざとこれでよしとした(ディランには、そのような曲が 無数にある)のだと考えています。”雑なつくりの曲”なのですが、ディランを聴いてい るうちに、そのフィーリングが他では味わえないカッコイイものだと思えるようになって きたのです。演奏のテイクを重ねて、もっと良いものができたのか。そんなことは神のみ ぞ知ること。通常のブルースは12小節の繰り返しパターンですが、《サブタレニアン・ホ ームシック・ブルース》にはそんな固定観念はあてはまりません。固定観念で聴いている と、すべてにおいて自由で超越しているディランに、いとも簡単に裏切られます。次から 次へとこちらにむかって投げつけられる言葉の、なんとロックでカッコイイこと。ディラ ンの歌い方を真似てみたくなるヴォーカリストが多いことも、よーく理解できるのです。