ビートルズ、それ以降の数々のイギリスのグループによるブリティッシュ・インヴェイジ ョン、スプリームスとモータウン、ビーチ・ボーイズ、そしてボブ・ディラン。1964年の アメリカの音楽業界を代表するようなこれらの動向を、”ビートルズ以前のヒット・チャ ートの常連”だった人達はどのような思いでみていたのでしょうか。ことに、ヒット曲を ”歌う側”ではなく”作る側”にいた人達は、様々な思いを抱えていたことと思います。 ”作る側”にいたうちの一人のフィル・スペクターは、ビートルズやローリング・ストー ンズに何気なくすり寄っていました。しかし、彼らとの間には(まだ)自分の出番がない と悟るや、意外なヒット曲でチャートに復活してきます。それがこのライチャス・ブラザ ーズが歌った1965年の全米No.1ヒット(発売は1964年の暮れ)《ユーヴ・ロスト・ザット ・ラヴィン・フィーリン》です。 ライチャス・ブラザーズは、ビル・メドレーとボビー・ハットフィールドの2人の白人男 性歌手からなるデュオです。ブラザーズという名前がついていますが、本当の兄弟ではあ りません。フィル・スペクターがプロデュースした《ユーヴ・ロスト・ザット・ラヴィン ・フィーリン》は、1964年を席捲したイギリスのビート・グループやポップなモータウン のサウンドとは全くことなる曲調で、当時のヒット曲と並べて聴くとその差異は際立って います。曲のスピードは、当時のイギリスのビート・グループが繰り出すヒット曲とは全 く異なるスローなテンポです。メイン・ヴォーカルのメドレーの声が低いので、よけいに スローに聴こえます。そのメドレーも、「曲はあまりにスローだった」と後に語っていま す。作者のバリー・マンでさえも、「テンポが間違っている」とスペクターに伝えたとい う逸話が残っています。 しかし極端のテンポの違いが、この曲を当時の他のヒット曲から際立たせたことは間違い ないでしょう。最大の聴きものは、やはりスペクターが施したウォール・オブ・サウンド に負けないソウルフルなヴォーカル。メドレーの低音から曲はスタートし、「ベイビィ」 とシャウト気味に歌うところでベースがバリトンへと代わり、やがてハットフィールドと (ソニー&シェールの)シェールが入ってきて豊かなテナーとバリトンのコーラスになる ところはゾクゾクします。最大のキモは2分を過ぎたあたりの、メドレーとハットフィー ルドのかけあいでしょう。「ベイビィ」、「ベイビィ」とソウルフルにシャウトする2人 の掛け合いは、当時のブラック・ミュージックでも(レコードのうえでは)おそらく聴く ことができない画期的なものだったのではないでしょうか。このソウルフルな掛け合いは 、多くのロック・シンガーや黒人シンガーに影響をあたえたのではないかと思うのです。