音楽が持っている力のひとつに、「せつない気持ちにさせる」というものがあると、ぼく は思っています。ある曲を聴いていると、なぜかわからないけどせつない気分になってし まったような経験はないでしょうか。ぼくには、そのような気持ちになってしまう曲が数 多くあります。例えばスキーター・デイヴィスの《エンド・オブ・ザ・ワールド》や、カ ーペンターズの《アイ・ニード・トゥ・ビー・イン・ラヴ(邦題:青春の輝き)》といっ た曲がそうでした。後になって曲の背景を知りましたが、”背景を知っているからせつな くなる”のではなく、そのような背景とはまったく関係なしに、これらの曲はいきなりぼ くをせつない気持ちにさせるだけの力を持っていた(そして今でも持っている)のです。 そのような「せつない気持ちにさせる」という力のホームラン王だとぼくが思っている曲 が、1964年冬の全米No.1、ボビー・ヴィントンの《ミスター・ロンリー》なのです。 イントロから、普段の生活では決して表に出ることのない、心の奥底のセンチメンタルな 部分を刺激されるような気がするのです。ストリングスはセンチメンタルな部分の周囲を 優しく包み、ポロンポロンとなるピアノがストリングスで包まれた部分のツボをそっと揉 みほぐしてくれているような、そんな気分になるのです。そして、思い入れたっぷりに、 主役のヴィントンが登場します。このヴィントンの歌の表現力の凄いこと。《ミスター・ ロンリー》の持つ「せつない気持ちにさせる」という力の殆どは、ヴィントンの歌の力に よるものだということがわかります。その証拠にオーケストラなどが演奏するこの曲を聴 いても、良い曲だとは思っても、せつない気持ちになることはないのです。ヴィントンの エモーショナルな歌によって、歌詞は普遍性を持ち、せつなさは具体性を帯びるのです。 とくに「ソルジャー」という言葉は、心に静かに響きやがて一杯に広がっていくのです。 そんなせつない気持ちにさせてくれる《ミスター・ロンリー》が録音されたのは、ヒット した1964年ではなく1962年なのだそうです。どことなくオールディーズっぽい印象を受け るのは、ブリティッシュ・インヴェイジョン以前に制作されたためでしょう。《ミスター ・ロンリー》は、1962年当時はシングル・カットされず、アルバムの1曲として世に出ま した。しかしベスト盤に収録されたことでラジオから火がついて、ビートルズが訪米した 1964年の冬に全米No.1になったのです。オールディーズの匂いがする《ミスター・ロンリ ー》が、ロックの時代に入ってから全米No.1を獲得できたのは、この曲の「せつない気持 ちにさせる」という類まれな力が、曲の古さを感じさせない普遍的な魅力を多くの人に感 じさせるからではないでしょうか。そんな《ミスター・ロンリー》は、ロックの時代にな る前の時代の最後の輝きのような曲だと思います。