ビートルズやデイヴ・クラーク・ファイヴといったイギリスのグループ、そしてビーチ・ ボーイズやフォー・シーズンズといったアメリカのグループの曲がヒット・チャートを席 巻するなか、ブラジルの作曲家の曲がポップ・チャートのトップ・ファイヴに食い込む大 ヒットを飛ばします。曲名は《ザ・ガール・フロム・イパネマ(邦題:イパネマの娘)》 、作曲者の名前はアントニオ・カルロス・ジョビンです。ジャズやポピュラーの世界では ジョビンも有名ですが、彼の名前を知らないロック・ファンのために少し説明を加えてお くと、ジョビンはサンタナの名盤『キャラバンサライ』に収録されている《ストーン・フ ラワー》の作曲者でもあります。そのジョビンが作り演奏にも参加しているのが1964年の 初夏の大ヒット《ザ・ガール・フロム・イパネマ》なのですが、歌を歌ったのはジョビン ではなく、同じくブラジル出身の女性のアストラッド・ジルベルトという人です。 ぼくは《ザ・ガール・フロム・イパネマ》の魅力の殆ど(そして大ヒットとなった要因) は、この曲を英語の歌詞で歌ったアストラッドのアンニュイなヴォーカルにあると思って います。アストラッドのヴォーカルには不思議な力があって、彼女が歌うと、どんな曲で もアストラッドの色に染まってしまうのです。《ザ・ガール・フロム・イパネマ》は、そ んなアストラッドのヴォーカルがジョビンの浮遊感あふれるメロディーと絡みあうことに よって、聴いているとある情景が浮かんでくるのです。それは海辺のカフェテラスの中か ら外側の海の見える風景を見ている自分の姿と、その風景の中を歌詞に出てくるような褐 色で背の高い美しい女性が通り過ぎると情景なのです。アストラッドの歌う(しかもヒッ トしたこのヴァージョンの)《ザ・ガール・フロム・イパネマ》を聴いた人は、みな同じ ような情景が思い浮かぶのではないでしょうか。 《ザ・ガール・フロム・イパネマ》には、もう一人の主役がいます。白人のジャズ・テナ ー・サックス奏者のスタン・ゲッツです。しかしプロデューサーの(そしてゲッツのアル バムでヒットも飛ばしていた)クリード・テイラーにしてみれば、ゲッツよりも「アスト ラッドをみーつけた」という気持ちのほうが大きかったのではないでしょうか。不思議な 力を持つ歌を歌うことのできるアストラッドを発見したことは、映画「ローマの休日」の 監督が無名のオードリー・ヘップバーンを発見したのと同じくらいの喜びだったのではな いかと想像してしまうのです。その証拠にテイラーのプロデュースのもとアストラッドは ソロ歌手に転向し、数多くのアルバムを制作します。その意味では《ザ・ガール・フロム ・イパネマ》という曲は、アストラッド・ジルベルトという60年代を彩った代表的な女性 ポピュラー歌手の誕生を記録した曲だったように思うのです。