うーん、これは凄い。いきなり、歪んだリード・ギターのカッコイイ音が飛び出してきま す。演奏はいわゆる”ボ・ディドリー・ビート”。ロックンロールの偉大なオリジネータ ーの一人、ボ・ディドリーが生み出したとされるジャンジャカ、スカジャン、スカジャン ジャンという有名なリズムです。同じリズムを使ったローリング・ストーンズの《モナ》 (ディドリーのカヴァー)と比較しても、ロック度合いとしてはいい勝負ではないでしょ うか。むしろ演奏の端正さでは、こちらのほうが上ではないかと思います。例えば、この 演奏を知らないロック好きの人に、「いつ誰が演奏しているのか」聞いてみたとしましょ う。その端正な演奏から、おそらく殆どの人が年代を正確に答えられないのではないかと 思います。感覚としては、そのくらいロックしています。そんな一曲が、ジョニー・オー ティス・ショウの1958年のヒット曲《ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ》です。 それではジョニー・オーティスという人は、どのような人なのでしょうか。日本で発売さ れているロック関連の本などには、殆ど記載がありません。ぼく自身も、有名になる前の リトル・リチャードと一緒にレコーディングをしていることぐらいしか知らないので、少 し調べてみたいと思います。オーティスは、1921年の12月生まれだそうです。世代的には 完全にロック世代の人とはいえません。《ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ》の ヒットのときは、36歳だったことになります。デビューは1945年。戦時中から当時にかけ て人気だったのはジャズのビッグ・バンドで、オーティスもビッグ・バンドでデビューし たようです。メンバーからするとR&B色が濃いビッグ・バンドだったようで、日本では サム・テイラーの演奏でも有名な《ハーレム・ノクターン》(鶴光のオール・ナイト・ニ ッポンのミッドナイト・ストーリーの音楽としても有名)のヒットを出してます。 その後オーティスは、ジャズのサックス奏者チャーリー・パーカーの歴史的なレコーディ ングを行ったことでジャズ・ファンでは知らない人は殆どいないサヴォイというレコード 会社と契約します。ここで録音された音源を聴いてみると、ビッグ・バンド・ジャズでは なく、完全にR&Bのスタイルになっています。どうやらオーティスは、40年代の後半頃 からR&Bに感化され、男女2人の黒人のヴォーカリストやヴォーカル・グループ(後の コースターズ)をフロントにしてそれに伴いバンド・スタイルも変えていったようです。 自分でクラブも経営していたとされるオーティスは、どのような音楽が若者に受けるのか 実感として感じていたのではないでしょうか。新しいバンド・スタイルが受けると感じた オーティスは、リズム&ブルース・キャラバンを組織してアメリカをツァーしてまわった ようです。こういうところは、単なるミュージシャン以上の才覚を感じさせます。 その後オーティスはタレント・スカウトやシンガーのバックアップとしても活躍し、関わ った人達の名前には、先のリトル・リチャードのほかにも、エッタ・ジェームズ、ジャッ キー・ウィルソン、ハンク・バラッド、リトル・ウィリー・ジョンなどR&B界のそうそ うたる顔ぶれが並んでいます。その他にもビックリしたのが、エルヴィスが歌ったことで 有名になったビッグ・ママ・ソーントンの歌う《ハウンド・ドッグ》のオリジナル・ヴァ ージョンをプロデュースしていたりするのです。その後オーティスは、自分のレコード・ レーベルを立ち上げたり、ディスク・ジョッキーをやったり、TVショウのホストを務め たりと、日本でいうとビート・たけしなみの八面六臂の大活躍です。そんな彼が1958年と いうロックンロール時代に自らヴォーカルをとってリリースしたのが、ボ・ディドリー・ ビートを巧みに用いた《ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ》というわけです。 そのような知識を前提に《ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ》を聴いてみると、 やはりオーティスの優れた才覚を感じずにはいられません。ボ・ディドリー・ビートを使 用したディドリーの《モナ》や、バディ・ホリーの《ノット・フェード・ア・ウェイ》は 1957年のヒット曲です。それらのヒット曲に共通するビートに、才覚が豊かなオーティス はヒットに通じる何かを感じたのではないかと思われます。そしてオーティスは、ボ・デ ィドリー・ビートを巧みに用いて《ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴ》を自ら創 り、歌ったのではないかと思います。その結果、オーティスのバンド・メンバーのミュー ジシャンとしてのプロフェッショナルなテクニックによって、《ウィリー・アンド・ザ・ ハンド・ジャイヴ》は思いがけずロックンロールな感覚を超越して”ロックっぽい”サウ ンドに行き着いたのではないかと思います。