「ジャジャジャジャ、ジャッジャ、ジャン、テキーラ!」というインパクトのある繰り返 しで有名なのが、1958年のチャンプスのインストゥルメンタル・ヒット曲の《テキーラ》 です。一聴するとすぐにわかりますが、これはもう完全にパーティ用の曲ですね。パーテ ィで酒を飲んでいる人も、踊っている人も、そして演奏しているバンドも、みんな揃って バカになろうよというタイプの曲です。この曲がヒットした当時は、おそらく当時の様々 なダンス・バンドが演奏したのではないでしょうか。みんなが踊りつかれるまで、とこと んいけるタイプの曲です。もし当時12インチ・シングルがあったならば、12インチ・シン グルでロング・ヴァージョンが発売されていたことでしょう。現在であれ、通常のラジオ ・プレイ用のヴァージョンと、ロング・ヴァージョンの両方入ったマキシ・シングルで発 売されていた可能性があります。《テキーラ》とは、そのようなタイプの曲です。 そして、これまたよく聴くと感じることができると思いますが、《テキーラ》はA面で発 売されるようなタイプの曲ではありません。実際に《テキーラ》は、メンバーのひとりの デイヴ・バーゲスの《トレイン・トゥ・ノーホェア》という曲のB面としてレコーディン グ・発表された曲です。なんでもA面を録音し終えてから、セッション・メンバーのひと りだったサックスのダニエル・フローレスがステージで即興演奏を行っていたリフを元に 《テキーラ》をレコーディングしたそうです。簡単に憶えられるコード進行の繰り返し、 シンプルで力強いサックスのリフ、そしてあの忘れることの出来ない「テキーラ!」の掛 け声。セッション・ミュージシャンであれば、数回でマスター・テイクを録音できたでし ょう。そしてリフを提供したダニエル・フローレスは、別のレコード会社と契約があった ため、ステージ・ネームのチャック・リオの名で作者としてクレジットされました。 こうして1958年にデイヴ・バーゲスの《トレイン・トゥ・ノーホェア》と《テキーラ》は 発表されたのですが、ラジオのDJを中心に人気がでたのは《テキーラ》のほうでした。 あれよ、あれよという間に全米No.1になり、1958年のグラミー賞ではベスト・リズム&ブ ルース・パフォーマンスまでとっているそうです。しかし先に書いたとおりに、《テキー ラ》という曲は、B面用にセッション・ミュージシャンを使ってレコーディングした曲で した。それをレコーディングしたデイヴ達は、固定的なメンバーを持つバンドではありま せん。しかしラジオ局からのリクエストが増えて人気が出るにつれ、固定的なメンバーで 演奏する必要がでてきたのでしょう。バーゲスは、《テキーラ》の作者のチャック・リオ とセッションでドラムスを叩いたジーン・オルデンを中心に、ベースとギターを入れて仕 事用のバンドを組みます。それが、チャンプスというグループになりました。 このようにセッション・ミュージシャンが集まっていたチャンプスというバンドは、作ら れた背景が《テキーラ》のヒットによるものだったので、メンバーの移り代わりは激しか ったようです。よくある話ですが、《テキーラ》の作者だったチャック・リオは、「オレ がオリジナルだ!」といわんばかりに、グループを脱退してチャック&ザ・オリジナルズ なるグループで活動したそうです。チャックが抜けた穴を埋めたのは、1970年代にシール ズ&クロフツとして《サマー・ブリーズ》のヒットを飛ばした、ジム・シールズとダレル ・クロフツです。その他にも《ラインストン・カウボーイ》のヒットや、フィル・スペク ターやビーチ・ボーイズのセッション・ギタリストとして有名なグレン・キャンベルや、 エリック・クラプトンやジョージ・ハリスンをアメリカ南部のロックに目覚めさせたデラ ニー&ボニーのデラニー・ブラムレットが一時期メンバーだったこともあるそうです。 チャンプス自体はそのようなバンドだったので人々の記憶から忘れ去られても、《テキー ラ》の魅力が衰えることはなさそうです。チャンプスは、ギターが中心のロックンロール 時代のコンボでしたが、サックスがメインのリフを演奏する《テキーラ》は人々が踊りに 来るボール・ルームで演奏していたようなビッグ・バンドによっても盛んに演奏されたこ とでしょう。実際に、スタン・ケントン楽団のようなバンドでもカヴァーされており、今 日では、我が国の中学や高校の吹奏楽部によっても演奏されることも多い曲です。B面と してレコーディングされた《テキーラ》がそれほど有名になったのは、シンプルで力強い リフと分かりやすい繰り返しのコード進行、そして「テキーラ!」の掛け声(この掛け声 で一気飲みした人も数知れないことでしょう)、そのようなロックンロール・パーティ的 ・狂騒的な特徴が人々を無意識に元気にさせたからではないかと思います