ギル・エヴァンスは、ぼくの大好きなミュージシャンの一人である。しかし、決してとっ つきやすい音楽をやっていた人ではない。「音の魔術師」とか「デューク・エリントンと 並ぶジャズ界の巨匠」などと言われるわりには、凄さ、面白さを体験するのが難しいタイ プの人なのではないかと思う。自分自身がギルの音楽を理解する過程を思い出してみても 、最初から「凄い」とか「面白い」と思えたわけではない。これが特定の楽器を演奏する ミュージシャンであれば、「ものすごい早弾き」とか「リリカルなフレーズ」などの特徴 によって良さがわかりやすいのであろうが、ギルの場合、ピアノを弾いてはいるもののメ インの仕事は編曲である。だから凄さや面白さが体感しにくいのではないかと想像する。 マイルス・デイヴィスの凄さや良さを一緒に語れる人はいても、ギルについて一緒に語れ る人が少ないのは、ギルがそのようなタイプの音楽家だからではないかと思う。 では、ギルの面白さとは何か。ギルは基本的に編曲家なので、アレンジャーとしてのキッ チリとした仕事もなくはないのだが、ぼくにとってそのようなアルバムは(例外はあるも のの)一番ではない。『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』のように、ロック・オーケス トラといってしまっても良いような人気アルバムもあるが、ギルの音楽ならではの面白さ には欠ける。晩年のスティングやデヴィッド・ボウィーなどロック系のミュージシャンと の仕事も、ギルならではと感じさせる部分もなくはないが同様だ。ぼくがギルの音楽を最 も面白いと感じるのは、ギルのアレンジメントを基底として生まれた音楽が自由闊達に動 き出すような瞬間である。それはまるで、音楽が生まれて成長する過程を捉えたドキュメ ントのようだ。そんな稀有な瞬間を捉えたアルバムが、80年代の傑作『ライヴ・アット・ パブリック・シアター』なのである。 このアルバムは、ニューヨークで行われたギルのコンサートをライヴ・レコーディングし たものである。メンバーは、当時のフュージョン・ミュージックのスター・ドラマーのビ リー・コブハム、ニューヨーク発のロフト・ジャズの注目株だったサックスのアーサー・ ブライス、前衛音楽系トロンボーン奏者のジョージ・ルイス、ロック・バンドBS&Tに 在籍していたギルの片腕ともいえるトランペッターのルー・ソロフなど、多彩なバックボ ーンを持つミュージシャン達が揃っている。このような多彩なメンバーが、一緒にどんな 音楽を奏でるのかというところもギルのオーケストラの聴きどころの一つだ。現在ではC D2枚組で販売されることが多いアルバムだが、リアルタイムでは第一集と第二集にに分 かれて発売された。普通、第二集というと質が落ちる場合が多いのだが、このアルバムは 両方に80年代のギル・オーケストラの最も稀有な瞬間が記録されているのである。 まず第一集に収録された《アニタズ・ダンス》という曲を聴いてみよう。これが面白い。 アレンジャーの音楽だからといって、きっちりと編曲された音楽だと思っていると面食ら う。音楽は、まだ始まってはいないかのように始まる。ギルのピアノでベーシックなモチ ーフが示され、ビヨーン、ヒェーと複数のシンセサイザーによる摩訶不思議なサウンドが 少しづつ周囲を彩っていく。ベース、ドラムス、パーカッションによってリズムが形をな していくと、音楽が生き物のようにグルーヴしはじめる。トランペットが最初のクライマ ックスを創り出し、シンセサイザーによる2回目のソロの後の最後のアンサンブルが現れ る過程は実にファンキーだ。それはまさに音から音楽ができあがる過程のドキュメントで あり、テーマがあって各楽器のソロが順番に回されていくような一般のジャズ・コンボや ビッグ・バンドの世界とはまったく異なる。ギルならでは世界がそこにあるのである。 そして第二集の《ジー・ジー》。これにもマイった。最初、音は低く蠢いている。半音づ つゆっくりと動いていく繰り返されるモチーフ。そのモチーフを奏でる管楽器と電子楽器 の音色は、自然に溶け合っている。その上の空間を、もの悲しいトランペットが埋め尽く していくのだ。次第に音楽が形作られていき、下で動いていたモチーフがトランペットを 大きく覆い尽くすようにかぶさってくるところはゾクッと鳥肌が立つような感じである。 そのジャズのビッグ・バンドのイメージとはあまりに異なるサウンドに、聴き終わったあ としばらくボーっとしていたような記憶がある。「いま自分が聴いた音楽はなんだったの だろう」と思ったのだ。霧の中を彷徨い歩いているような音楽は、ジャズというよりも壮 大な映画音楽のようでもある。この《ジー・ジー》と《アニタズ・ダンス》での音楽の成 り立ちを聴けば、ギル・エヴァンスという人の音楽の面白さがきっと理解できるだろう。