少し前の話になるが、ある音楽雑誌で60年代のロック・アルバムのランキングを行ってい た。燦然と輝く我らがビーチ・ボーイズの傑作『ペット・サウンズ』がトップなのは納得 だが、少し意外だったのはザ・バンドのファースト・アルバム『ミュージック・フロム・ ビッグ・ピンク』が3位に入っていたことだった。この種のランキングを行うと、上位は 『ペット・サウンズ』か、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・ クラブ・バンド』か、ボブ・ディランの最高傑作《ライク・ア・ローリング・ストーン》 が収録された『追憶のハイウェイ61』がくるものと相場は決まっているものだが、『ビ ッグ・ピンク』が3位というのは、僕には物凄く意外だった。選定者の三分の一が1959年 以前の生まれということと関係あるのかな?でも、ビートルズの全てのアルバムを押えて 3位というのは「本当に納得できるランキングですか?」という感じがする。 1960年代生まれの僕と同世代の人は、ザ・バンドの名前を聞いたのは、ボブ・ディランの 『地下室』が発売されたときか、ディランやエリック・クラプトンをはじめ豪華なゲスト が多数参加した解散コンサートの『ラスト・ワルツ』のときではないだろうか。かくいう 僕も、はじめて買ったザ・バンドのレコードは、レコード会社との契約消化のための寄せ 集めアルバムとして名高い『アイランド』である。いまでこそ、60年代にロックの最先端 にいたディラン&ザ・バンドの仕事は評価されるようになったが、『地下室』が発売され た当時(70年代半ば)では、ディランはまだ”プロテスト・ソングを歌うアメリカのフォ ーク・シンガー”であり(NHKが放送した初来日の特番でもそれは顕著だった)、まし てやザ・バンドが僕の周りで話題にあがることは殆どなかった。僕が『アイランド』を買 ったのは、『ラスト・ワルツ』での豪華スターの競演が話題になっていたからだと思う。 だから僕が『ビッグ・ピンク』へと遡ったのは、レコードがCDにとって変わられる最後の 頃だった。ちなみにタイトルになっている”ビッグ・ピンク”というのは、レコードでは 裏ジャケットに写っているピンク色に塗られた家のことだ。この家は、1966年のバイク事 故で主だった活動を止めたボブ・ディランが住んでいたウッドストックというところに移 り住んだザ・バンドのメンバー3名が借りた家である。ここで、ディランと共に、日々セ ッションをして過ごしたそうだ。そのときの音源が、ディラン&ザ・バンド名義で70年代 に入ってから発売された『地下室』というわけだ。『地下室』には、後に『ビッグ・ピン ク』で正式に発表されていたディランとザ・バンドの共作の《怒りの涙》と《火の車》が 収録されていた。つまり『ビッグ・ピンク』は、ディランならびに『地下室』と関連付け られて語られる運命にあるアルバムであった。 最近では、その後のロックに与えた影響から評価が高まっているらしい。エリック・クラ プトンがボブ・ディランの30周年コンサートでザ・バンドを紹介する際に言った、「『ビ ッグ・ピンク』は人生を変えたアルバム」という意味の言葉がその代表だろう。アルバム が出た当時、まだクリームのメンバーだったクラプトンがどのくらい『ビッグ・ピンク』 のサウンドに衝撃を受けたかは、《トゥ・キングダム・カム》などがルーツと思える70年 代クラプトン・バンドのサウンドを聞けば容易に想像できる。僕がこのアルバムで一番驚 いたのも、有りそうで有りえないようなザ・バンドのサウンドだった。とくにオープニン グを飾る《怒りの涙》のサウンドは、いまだにどうやったのかよくわからないところがあ る。ましてそのサウンドが、ヒッピー・カルチャーのイメージが大きい1968年という時代 の産物ということで二度驚いたのであった。 カントリーとR&Bをベースにしたどっしりとしたリヴォン・ヘルムとリック・ダンコの リズム、その上に彩りを添えるガース・ハドソンのプログレッシヴなキーボードと唯一無 比のロビー・ロバートソンのギター、そしてリチャード・マニュエルを中心としたソウル フルなヴォーカルという各人の個性が最初から見事に確立されているのは、経歴の長いザ ・バンドだけのことはある。魅力的な傑作が揃っている『ビッグ・ピンク』だが、やはり 『地下室』とは比較にならないくらい素場らしい《怒りの涙》、アル・クーパーとマイク ・ブルームフィールドも『フィルモアの奇蹟』でカヴァーした《ウェイト》、リチャード ・マニュエルの素場らしいヴォーカルがディランのオリジナルを上回った《アイ・シャル ・ビー・リリースト》といったところが代表曲か。確かに傑作、確かに素場らしい。でも ビートルズを押えて3位とはねぇー・・・。「本当ですか?」