最近発売された村上春樹翻訳のビーチ・ボーイズ関連本を読んでいたら、久ぶりにあの豊 潤なサウンドの世界に浸りたくなった。2008年の現在、ビーチ・ボーイズが単純なサーフ ィン・バンドではないというのはさすがに知られてきたが、それでもまだ音楽好きの間で もその種の偏見は多い。簡単に書いておくと、ビーチ・ボーイズは当初こそサーフィンや クルマなどの西海岸の若者達の生活を歌ったロックンロールを演奏していたが、リーダの ブライアン・ウィルソンが精神的プレッシャーから破綻をきたし、一人でスタジオ・ミュ ージシャンを使って音作りを始めるころからサウンドが変化しはじめる。そのサウンドは ロック・ポップス史に残る傑作アルバム『ペット・サウンズ』として結実することになる が、さまざまな問題を抱えたブライアンとビーチ・ボーイズは次作の『スマイル』を完成 させることができずに、時代に取り残されていくことになる。 簡単に前フリを述べると、そんなところだろうか。それでもって僕がどのアルバムを聴き たくなったかというと『ペット・サウンズ』ではなく『トゥディ!』なのである。ブライ アンがツァー中の飛行機で精神的にマイってしまった後に、初めてまとめ上げたというア ルバムだ。西海岸の有名なスタジオ・ミュージシャンを指揮して作り上げたそのサウンド ・プロダクションは、ときには狂気じみているがごとく過剰であったりもするが、ビーチ ・ボーイズのそれまでの歩みの中で、初めてエモーショナルな感情を吹き込まれたサウン ドだと僕は思っているのである。アナログA面にあたる1曲目から6曲目は、快活な人気 ロック・バンドのイメージを損なうことのない曲がならんでいる。しかしサウンドやメロ ディによく耳を傾けてみると、それまでのサーフィンやクルマを主題にした曲では感じた ことのない、心の奥の何かを刺激するような不思議な要素があるのである。 その不思議な要素を感じる曲の代表が、《ホェン・アイ・グロウ・アップ(邦題:パンチ で行こう)》だ。この曲は『トゥデイ!』制作が本格化する前(つまりブライアンが精神 的破綻をきたす前)にシングル盤として発売されていた曲だが、ハプシコードやハーモニ カなどを印象的に使用したサウンドはそれまでのサーフィン・ミュージックとは明らかに 異なっている。そのサウンドが、心の中のどこかに忘れてしまっているような若い頃の切 ない感情を刺激するのだ。どのような意味のことを歌っているのか確認したくなって歌詞 をみると、「ボクが一人前の大人になったとき、子供の頃に夢中だった同じものにまだ興 味をもてるだろうか」といった、一人前になることへの不安を歌っているのである。なに が”パンチで行こう”だ。日本にも似たようなヒット曲があったが、2番からバックに入 ってくる「14歳、15歳、16歳」と年齢を重ねていくバック・コーラスが秀逸である。 そしてアナログB面である。もういろいろな人が公に述べているが、『トゥデイ!』の7 曲目から11曲目は、別格扱いの『ペット・サウンズ』を除いてビーチ・ボーイズの全ての アルバムの中で1、2を争う出来である。そればかりか、ロック・ポップスのアルバムの 各サイドの流れに賞が与えられるとすれば、それでも1、2を争う出来であろう。スター トは、恋愛がスタートするまさにその瞬間を音楽として表現したブライアンの最高傑作の 一つ《プリース・レット・ミー・ワンダー》だ。僕の一番好きなビーチ・ボーイズ・ナン バーである。それ以上、進んだ関係でもいけないし、それ以前でもない。ふたりはお互い に触れあい、見つめあっている。お互いの心臓のドキドキ感がわかるくらいに寄り添って いる。恋愛関係が成就しようとしているまさにその瞬間。お互いに相手以外は何も見えな くなっている夢の中にいるようなその瞬間が、音楽として表現されているのである。 《プリース・レット・ミー・ワンダー》の素晴らしさにたじろいていると、至高のコーラ ス・ワークと驚きのサウンド・プロダクションの《キス・ミー、ベイビー》がくる。ビー チ・ボーイズとして聴いた場合、《キス・ミー、ベイビー》こそ『トゥディ』の最高傑作 なのではないかと思える。なんと言っても、「キス・ミー、ベイビー、ラヴ・トゥ・ホー ルド・ユー」と繰り返されるクライマックスが涙ものだ。この曲のサウンドやメロディや コーラスから伝わってくる感情は、「キスしてほしい」なんて単純なもんじゃない。「キ スして、キス、キス、もっとして、もっとキス、もっと、もっと」くらい性急なものだ。 この部分が2回繰り返されるとき、不思議なことに僕はいつも涙腺を刺激される。音楽が 活きた感情をもっているのだ。エモーショナルな感情を持つ『トゥデイ!』の豊潤なサウ ンド世界は、秘密にして僕だけの楽しみにしておきたいくらい素場らしいものなのだ。