バディ・ホリー。”若くして夭折した天才ロッカー”、”バディの死と共にロックンロー ルは死んだと言われた”、バディに関する一般的な情報とはそんなところでしょうか。そ んな情報は全く知らなかった僕がホリーの名を強く意識したのは、まだコケティッシュで チャーミングな魅力でいっぱいだった頃のリンダ・ロンシュタットが70年代に残したウェ スト・コースト・ミュージックの名盤『ハーステン・ダウン・ザ・ウィンド(邦題:風に さらわれた恋)』に収録されていた《ザットル・ビー・ザ・デイ》という曲でした。確か リンダは次のアルバムでもホリーの《イッツ・ソー・イージー》をカヴァー。面倒なので いちいち調べませんが、両方の曲ともシングル・カットされていた記憶があります。その 後、ホリーという人がどうもロック史的に無視できない人で、ビートルズもローリング・ ストーンズもホリーの曲をカヴァーしていることを知ったのです。 今回の「ロックへの旅」は、僕がホリーの名前を知ることになったリンダ・ロンシュタッ トのヴァージョンではなく。ホリーのオリジナル・ヴァージョンの《ザットル・ビー・ザ ・デイ》です。ホリーが彼のバンドのクリケッツのメンバーと録音したオリジナル・ヴァ ージョンは、リンダ・ロンシュタットのヴァージョンと殆ど変わらないアレンジです。こ こは、オリジナルに忠実にカヴァーしてホリーに敬意を表したリンダ・ロンシュタットを 褒めてげるべきところでしょう。カントリー風の見事なギターのイントロに導かれ、ホリ ーの歌が始ります。ミック・ジャガーはホリーの歌声を聞いて”黒人が歌っている”と思 っていたと言われていますが、本当でしょうか?どこから、どー聴いても、白人青年の声 です。しかし、「ハァァアイ」とか「エェェエイ」という語尾を多用する適度に荒削りな その歌声は、ホリーの見た目の印象とは異なりロック的ワイルドさを感じさせます。 しかい一番に感じるのが、溌剌とした明るさです。ホリーの作る曲の曲調とか作風もある のでしょうが、”暗さ”とか”憂い”が微塵もありません。ホリーもカントリーやR&B を聴いて育ったと言われていますが、いわゆる”ブルージー”なところは全くといって良 いほどないのです。その屈託のない若さ、それでいてロックを感じさせる適度な荒削りさ が、ホリーの音楽の最大の魅力といって良いと思います。そして、この魅力こそが、おそ らく若き日のビートルズ(とりわけジョン・レノン)を大きく刺激したのではないかと僕 は思っているのです。ビートルズの歩みを音で綴ったアルバム『アンソロジー1』は、若 き日のアマチュアだったビートルズが、皆でお金を出しあって自主制作した初めてのレコ ードからとった音源で始ります。そこでジョンが歌っている曲こそ、ホリーの《ザットル ・ビー・ザ・デイ》でした。 僕は、「なぜ《ザットル・ビー・ザ・デイ》だったのだろう」とずっと考えていました。 ジョンとポールは、既にオリジナル曲を数多く書いていたといわれています。事実、その レコードのB面は、”オリジナル曲の”《イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デインジ ャー》です。「ジョンが歌いたかったから」というのは当たり前の理由で、なぜオリジナ ルよりも《ザットル・ビー・ザ・デイ》が歌いたかったのだろうという点が、僕がひっか かってずっと考えていたことなのです。結局、明確な答えがあるわけではないのですが、 ビートルズはその後TV番組のオーディションを受けたときにもホリーの《シンク・イッ ト・オーヴァー》と《レイヴ・オン》を歌っている(「アンソロジー」のポールの発言よ り)ことから、おそらく1958年から1959年のある時期、ビートルズ(というよりもジョン )はホリーに恐ろしく入れあげていたのではないかと推測できます。 それだけジョンを熱狂的にさせたものが、ホリーの屈託のなさとロックを感じさせる適度 な荒削りさではないでしょうか。ホリーのヒット曲であり、ビートルズが最初にレコーデ ィングした曲でもある《ザットル・ビー・ザ・デイ》(ジョンは、最初に憶えたいくつか のロックンロール曲の一つとしてもあげている)には、ホリーのその後の音楽の特徴とな る魅力が早くも凝縮されている気がします。そしてホリーの音楽が持つシンプルで屈託の ない溌剌さと荒削りな若さは、そのままビートルズの初期の曲、とりわけジョンがヴォー カルをとる曲の魅力に直結している気がするのです。ビートルズという名前もホリーのバ ンドのクリケッツにヒントを得ているといわれていますが、一時期のジョンおよびビート ルズにとって、バディ・ホリーという存在は、おそらく知られている以上に大きなものな のではないかと僕は思うのです。