ローランド・カークという黒人ミュージシャンがいた。CDショップではジャズのコーナ ーに置いてあるが、カークの演奏はマイルス・デイヴィスなどと同様にジャズの枠に収ま りきらない。カークの音楽からは、ジャズだけではなく、ブルース、ゴスペル、R&B、 ソウルなどの要素を聴き取ることができる。そんなカークの音楽は、人間がこの世に残し た音楽の中で最もエモーショナルな音楽の一つだと僕は感じているのである。実際に眼の 前で演奏を観ることができたら、どんなに凄かったろう。そんな想像をめぐらせるのは、 ジミ・ヘンドリックスとカークしかいない。カークの音楽との最初の出会いは、ジャズ喫 茶で聴いた『カーク・イン・コペンハーゲン』というライヴ・アルバムだった。これに一 発でヤラレタ。このアルバムが、カークの音楽の扉を開け、この世で最もエモーショナル な演奏をするカークというミュージシャンを僕に教えてくれたのである。 アルバムは、ボレロのリズムにのせたゴスペル・フィーリング漂うブルース《ナロウ・ボ レロ》で始まる。しょっぱなから、カークの得意技の一つ、驚異の3管同時マルチ・ホー ン演奏である。まずは北欧の皆様に挨拶がわりということか。通常、管楽器奏者は、同時 に複数の楽器を演奏することは無い。ところがカークは、同時に2つ以上の楽器を演奏す ることができる。これはカークの専売特許ではなかったらしいが、カークのようにマルチ ホーンの演奏を極め、巧みに自己表現に取り入れたミュージシャンは他にはいない。カー クは、ソプラノ・サックスと似た音域を持つとされるマンゼロ、アルト・サックスと似た 音域のストリッチ、そして通常のテナー・サックスの3本の楽器を同時に口に咥えて演奏 を行う。このため見た目はどうしても”異形”となるが、演奏を聴けばわかるが、カーク はどこまでいっても音楽的なのだ。これにまず驚いてしまう。 続いてはマンゼロとテナーの2管による《ミンガス=グリフ・ソング》。カークは、まず マンゼロでチャーリー・パーカーの《コンファメーション》を織り交ぜながら軽快に飛ば す。そしてテナー・サックスに持ちかえると、2コーラス目から怒涛のブローをブチかま す。最後はマンゼロとテナーによる一人掛け合いから、マルチ・ホーンによるヴァンプに 持っていき、”イヨゥ”と飛び道具のホイッスル(クレジットはサイレンとなっている) で落すところはカークならではだ。続く《ザ・モンキー・シング》では、ロック・ファン にはヤードバーズとの共演で有名なソニーボーイ・ウィリアムスンU世(カークとは昔の 仲間らしい)が登場。ブルージーなブルース・ハープを聴かせ、秋の夜の北欧コペンハー ゲンのジャズ・クラブを一気にアメリカ南部のブルースを演奏しているライヴ・ハウスの 色に染めあげていく。ウィリアムスンをバックでプッシュするカークが見事だ。 続く3曲(アナログ盤のB面)が、僕のカーク初体験かつその一発でヤラレテしまった演 奏である。この3曲の演奏を聴かなかったら、見た目は明らかに”異形”のカークは、恐 いものみたさはあっても近づくことはなかったかもしれない。まずはデューク・エリント ンの有名なナンバー《ムード・インディゴ》。マンゼロ、ストリッチ、テナー・サックス の3本を同時に口に咥えた驚異的なマルチ・ホーンで、ブルージーなエリントン・カラー を見事に醸し出していく。僕は《ムード・インディゴ》という曲で、デューク・エリント ンという偉大なジャズ・ミュージシャンを少しだけ理解できたようなところがあるのだが 、そのカラーを見事に音楽的に再現するカークも《ムード・インディゴ》によって一歩を 踏み出すことができたのである。ソロではこれまたお得意のフルートによる驚異の演奏を 展開。北欧のみなさんも度肝を抜かれたことであろう。 続く2曲が、このアルバムのクライマックスだ。《キャビン・イン・ザ・スカイ》は、テ ーマを優美に吹き終えたかと思いきや、ストリッチで驚異的な運指のソロをブチかます。 ピアノ・ソロが続くが、盛り上げるだけ盛り上げたカークに続く緊張感の無いソロに、2 コーラス目からカークが2管同時のリード・セクションとホイッスルの”イヨゥ”でカツ を入れる。マイルス・デイヴィスの名盤『モダン・ジャズ・ジャイアンツ』のマイルスと モンクみたいだなぁ。ドラムとの掛け合いのエンディング、および最後のカデンツァもお 見事だ。最後の《オン・ザ・コーナー・キング・オブ・アンド・スコット・ストリート》 では、またもやフルートを駆使しての怒涛のソロを展開する。驚異的な演奏、汗とヨダレ と体臭、北欧だろうがどこだろうが関係ないブラック・フィーリング、怒涛と興奮の全て が入り混じる、「ジャズのライヴはこうでなくちゃね」の代表アルバムだ。