『ピルグリム』に一足飛びに行ってしまって、自分の中で一度ケリをつけたような”聴か ず嫌い”だが、やはり『ピルグリム』までのエリック・クラプトンの道程は改めて確認し ておきたいと思うのであーる。ということで、一足飛びに飛ぶまえの『バックレス』に続 くアルバムが、東京・日本武道館で収録された2枚組ライヴ・アルバム『ジャスト・ワン ・ナイト』だ。1974年、1975年、1977年に続く、1979年12月の、エリック・クラプトン四 度目の来日公演のライヴである。ボブ・ディランやチープ・トリックの武道館ライヴがア メリカでよく売れて、ライヴ会場としての”ブドーカン”の名前は海外にも轟いていた。 ライヴを観る側にとっての武道館は、PAが下手な人の場合は音がワンワンまわってしょ うがない場所なのだが、レコーディングする側にとっては準備がしやすい会場らしい。そ れで、クラプトン側も「ブドーカンでライヴ録音しよう」と考えたのだろうか。 武道館をライヴ録音の場所に選んだ理由として、クラプトンの日本ビイキも考えられる。 クラプトンの来日回数は、ビッグなロック・ミュージシャンとしては尋常ではない。よっ ぽど日本が気に入っているとしか思えない。自身の息子を悲惨な事故で亡くしてアルバム 制作をストップしたあとも、ジョージ・ハリスンとの合同ツァーを皮切りに、2年ごとに 来日してライヴを行っている。静かな日本のファンの前だと、落ち着いて音楽をプレイで きると思っているからだろうか。それともダラケタ演奏をしても、日本だとブーイングも なくそれなりに受けるからかもしれない。僕も何回も来日公演を観に行っているが、クラ プトンのファンに言わせると「最高だった」という年でも、「なんか音が汚いなぁ」とか 「ギターの弾き方が雑だな」などと感じたものである。それでも日本のクラプトン・ファ ンは「クラプトン最高!」なのだから、日本を気に入るのもああクラプトン無理もない。 事情はどーあれ、クラプトンは1979年の12月に四度目の来日を行い、武道館でライヴを披 露した。観客の歓声から、クラプトン・ファンが大勢来ているのがわかる。バンドは一新 され、前作までのクラプトン・バンドのメンバーは一人も残っていない。ことに、70年代 のクラプトンの音楽にアメリカ音楽の生き字引的見地から大きな影響をおよぼし、デラニ ー&ボニーやデレク&ザ・ドミノス以来ずっとを影で支えてきたベースのカール・レイド ルがいないのは淋しい。アルバムは、そのレイドルの出身地タルサを歌った前作の『バッ クレス』収録ナンバー《タルサ・タイム》でスタートする。イギリスのセッション・ミュ ージシャンの二人、ドラムのヘンリー・スピネッティやベースのデイヴ・マーキーの創り 出すリズムは非常にタイトだ。前作ライヴ『E.C・ワズ・ヒア』の70年代クラプトン・ バンドのサウンドより、スッキリとした印象のサウンドが特徴のバンドである。 でも、面白くないんだよなぁ。バンドの演奏は上手いんだけど、ハプニングしないのだ。 クラプトンのギターも、そのせいかこじんまりとしてしまっているのであーる。ブルース ・ロックという同じ土壌で考えても、ジミヘンのエモーショナルなギター、デュアン・オ ールマンのどっかに飛んでいってしまいそうなフレーズ、ロイ・ブキャナンのこれでもか と繰り出される驚きのテクニック、ジョニー・ウィンターの耳をつんざくようなスライド などと比較すると、コーフンするところが全くないのだ。イキそうでイカないのである。 チマチマしていて、下手くそなジャズ・ギターみたいなのである。それでもクラプトン・ ファンは、我慢しつつも盛り上がってあげるんだよなぁ。日本のロック・ファンには一番 ノリにくいと思われるカントリー・スタイルの全米ヒット《レイ・ダウン・サリー》なん か、クラプトン・ファンがガマンしつつも声援を送っているのがわかるのであーる。 そんな優しいクラプトン・ファンというのは、ブルース&カントリーに入れ込むクラプト ンを優しく見守って、自分の好きな《コカイン》や《レイラ》で盛り上がればとりあえず 幸せになれる人たちなのであーる。でも僕は、「ソロになると同じ様なフレーズばかりの ブルースばっかじゃ飽きちゃうよ」とか「カントリー・タッチの曲は面白くないんだよ」 と素直に思うのだ。だからといって「レイラ」が聴きたいわけでもない。ただただ、鬼気 迫るようなドラマティックで凄い演奏が聴きたいだけなのである。だから、バーで酒を飲 みながらプロレスを語るときのBGMにちょうど良いようなこの時期のクラプトンの音楽 は面白くないのだ。強いて言えば、ザ・バンドのリック・ダンゴと共作した《オール・ア ワー・パスト・タイム》が良い。クラプトンのヴォーカルが光っている。しかし、この時 点では、まだまだ素場らしい傑作『ピルグリム』への道は遠いようだ。