デイヴ・ブルーベックとポール・デズモンド。二人の名前を全く聞いたことがなくても、 デズモンドが作曲して、そのデズモンドを含むデイヴ・ブルーベック・カルテットが演奏 した《テイク・ファイヴ》という曲を知らないという人は、TVを普通に観る日本人であ ればまず殆どいないであろうと考えられる。《テイク・ファイヴ》はCMなどで使用され る頻度が非常に高いからであるが、”いつの間にか知っていたジャズ・ナンバー”という アンケートをとったら、おそらくダントツで1位になるのではないだろうか。4分の5拍 子という変則的なリズムを持つ曲にもかかわらず、それほど《テイク・ファイヴ》は有名 な曲なのだが、《テイク・ファイヴ》でジャズに興味を持った多くの人が《テイク・ファ イヴ》以外のブルーベックとデズモンドの音楽に興味を持たないのはもったいない話なの である。二人の作った音楽は、もっともっと深く聴き応えをもったものなのだ。 二人の関係は、TVで紹介される企業の製品開発プロジェクトの話と似ている。自ら考え いた製品を最高の形でお客様に提供すべく考えていた若きブルーベック社長は、やがて右 腕的存在となるデズモンド主任研究員と運命的な出会いを果す。ブルーベック社長は、デ ズモンド主任研究員の稀有な才能を活かした製品を作り、若者達を中心に爆発的な人気を 得る。二人はさらに研究に研究を重ね、やがてデズモンド主任研究員の天才的な閃きをメ インに取り入れたヒット製品《テイク・ファイヴ》によって、ブルーベック社の知名度は 世界的かつ不動のものとなる。組織体制も確立してブルーベック社は快進撃を続けるが、 やがて小さいながらも自ら社長としてやっていきたいとデズモンド主任研究員がブルーベ ック社から独立。その後のブルーベック社長は、子供達の世代にブルーベック社を引き継 ぎ、会長職につきながらも精力的に製品開発を続けた。 しかしブルーベック社の往年の製品を懐かしむ声も多かった。子供達と順調に会社を運営 していたブルーベック会長であるが、久ぶりにデズモンド主任研究員と一緒に製品を作っ てみないかという申し出がありこれを受けた。小規模ながらも社長として成功していたデ ズモンド主任研究員も、快くこの申し出に応じた。少し身体の具合は悪そうではあったが 、一緒に作業を始めると、若いときを彷彿とさせる才気がデズモンド主任研究員から溢れ 出した。ブルーベック会長もこれに応えるかたちで、子供達の手は借りずにデズモンド主 任研究員と二人だけで小さいながらも新製品にいそしんだ。素材は昔ながらの素材を使っ たが、完成した新製品には二人が歩んだ様々な経験が活かされ、全く新しい輝きを放つ製 品に仕上がった。その製品こそが、二人の出会いから25年以上たって残された唯一のデュ エット・アルバム『1975:ザ・デュエッツ』である。 このアルバムの二人の音楽が、小品ながらも聴き応えがあり素場らしいのだ。ブルーベッ クによる完璧で最高のお膳立てが整ったところに、デズモンドがデズモンドにしか吹くこ とのできない優雅なメロディを、これまたデズモンドにしか出すことのできない極上の音 色で奏でていく。デュエット曲として選ばれた曲の殆どは、二人がこれまで何度も演奏し てきた往年のレパートリーだ。《不思議の国のアリス》、《ジーズ・フーリッシュ・シン グス》、《スターダスト》といった曲は、1950年代初頭のカルテット結成当時のレパート リーである。今回のデュエットでも、演奏の骨格や構成は往年のカルテットのものと変わ っていない。しかしデュエットというフォーマットが、ブルーベックとデズモンドにとっ ての新たなインスピレーションの源となったのか、新鮮な輝きと深い表情を音楽に与えて いるのである。当然ながら、そこにはノスタルジーは微塵も無い。 ブルーベックによって設定された不思議なムードもつ音の一つ一つが、言葉にし難い深さ をもってデズモンドにそして聴いているこちら側に語りかけてくる。しかし天才デズモン ドのサックスの音色とメロディは、ブルーベックのピアノに呼応したフレーズを吹いても そのフレーズを紡ぎだした自分自身の内面に向けられ、より創造的なフレーズを紡ぎだそ うとしているかのように聴こえる。そのような二人の音楽に対する姿勢が、25年という歳 月と経験が、往年のレパートリーに全く新しい表情と息吹きをもたらした。ベストはブル ーベックが1964年に来日した際のアルバム『日本の印象』で発表された《コト・ソング》 、1968年の『ブラヴォー!ブルーベック』で発表された《ブルー・ダヴ》か。イマジネイ ティヴな美しさと溢れる気品。そして表情豊かな音の連なりがもたらす感動。会長と社長 になったブルーベックとデズモンドの二人にしか創りえなかった極上の音楽がこれだ。