今年もまたクリスマスである。和洋入り乱れて、いろいろなクリスマス・ソングが耳に入 ってくる。その中で、もっともクリスマスらしいクリスマス・ソングってなんだろうと、 ふと考えてみる。そうすると、やはりぼくは《サイレント・ナイト(きよしこの夜)》で はないかと思うのである。その理由は、次のようなクリスマス・パーティーのイメージか らきている。《サンタが街にやってくる》で幕をあけ、《赤鼻のトナカイ》や《ジングル ・ベル》などで大はしゃぎして、《ホワイト・クリスマス》でしっとりと落ち着いたあと 、最後に《きよしこの夜》で楽しい会もお開きになるというようなイメージだ。つまりぼ くのイメージのなかで、《きよしこの夜》はクリスマスをクリスマスらしくしめるために 欠かせない曲なのである。静かなイントロに導かれて「サーイレン、ナイト」ときただけ で、クリスチャンでもないのに敬虔な気持ちになってしまうのである。 それでは今まで聴いた《きよしこの夜》の中で、最も印象的なのは誰のヴァージョンかと 聞かれれば、それはやはりサイモンとガーファンクルのヴァージョンなのである。ポピュ ラー音楽(ジャズ、ロック、その他)の中で、《きよしこの夜》といえばサイモンとガー ファンクルなのである。サイモンとガーファンクル版《きよしこの夜》は、彼らの3枚目 のアルバムで、彼らの最高傑作だとぼくが思っている『パセリ、セージ、ローズマリー& タイム』に収録されている。このサイモンとガーファンクル版《きよしこの夜》は、単な る《きよしこの夜》ではない。《7時のニュース/きよしこの夜》といい、《きよしこの 夜》に当時のアメリカの世相を伝えるニュースが重ねたものとなっている。そして冒頭を 飾る彼らの代表作《スカボロー・フェア/詠唱》と対をなす形で、アルバムのラストに置 かれている。このため、単なるクリスマス・ソングの枠を超えた余韻で迫ってくるのだ。 サイモンとガーファンクルの最高傑作『パセリ、セージ、ローズマリー&タイム』が発表 されたのは、1966年の10月である。歴史的な観点で眺めると、カンボジアに侵攻したアメ リカ軍に対する反戦デモと、キング牧師を中心とした公民権運動の盛り上がりに、アメリ カ国内が揺れていた時代である。そのような時代の中において、サイモンとガーファンク ル、およびプロデューサーのボブ・ジョンストンは、どのようなメッセージをアルバムに こめたのか。アルバムのタイトルは、冒頭を飾る《スカボロー・フェア》の歌詞からとら れている。《スカボロー・フェア》はイギリスの伝承歌で、イギリスに渡ってトラディシ ョナル・フォークを学んでいたサイモンが憶えた曲だと言われる。歌詞の中で繰り返され るアルバム・タイトルは、パセリは温和さ、セージは忍耐、ローズマリーは貞節、タイム は度胸を示していると言われているらしい。 その美しい伝承歌である《スカボロー・フェア》に、サイモンは縫いこむようにして戦場 のイメージを散りばめた。美しいハーモニーによって描かれる美しい田舎町のイメージと 戦場のイメージが、静けさの中で交錯して不思議な余韻を残す。この《スカボロー・フェ ア/詠唱》に対をなすように、ラストの《7時のニュース/きよしこの夜》ではアメリカ の現実が迫ってくる。「上院議会での議題は、公民権法案に関する宅地解放問題でした。 ・・・キング牧師は、日曜日に予定された宅地解放のデモ行進を中止するつもりはないだ ろうと語りました。・・・デモの参加者達は反戦スローガンを叫んだため強制的に排除さ れました。・・・ニクソンは、反戦運動はアメリカに最大の不利益をもたらす凶器である と演説しました。7時のニュースでした。グッド・ナイト」。ピアノをバックに歌われる 《きよしこの夜》重なる上記のニュースが、なんとも言えない余韻を残すのである。 初めてこのヴァージョンを聴いたとき、美しいものと非常な現実を対比させることで、重 たい余韻を残すようなメッセージになりうることに感心してしまった。これを聴いてから は、《きよしこの夜》を聴くとどこからか”7時のニュース”が、そして途方も無い現実 がフェード・インしてくるような気がしてしまうのである。それゆえサイモンとガーファ ンクルの《7時のニュース/きよしこの夜》は、ぼくにとってもっとも印象深い《きよし この夜》になっているのだ。季節柄《7時のニュース/きよしこの夜》を中心とした話に なってしまったが、『パセリ、セージ、ローズマリー&タイム』はサイモンとガーファン クルの傑作曲が揃ったアルバムである。なかでも《クラウディ》、《早く家に帰りたい》 、《59番街橋の歌》、《夢の中の世界》、《エミリー、エミリー》は傑作だ。寒くなるこ の時期に不思議と会う音楽なので、ぜひじっくりと聴くことをお薦めする。