●いまも聴こえる、あの日の午後の《ヨイトマケの唄》

少し前の話しであるが、女子高校生の間で携帯電話の待ちうけ画面を美輪明宏の画像にす
るのが流行っていたらしい。美輪がTVなどで見せるスピリチュアルなキャラクターが影
響しているのか、なんでも美輪の画像を一週間待ちうけ画面にしていると幸運が舞い込む
のだという。豪華絢爛できらびやかな衣装を着てヴァラエティ番組などに出演し、ユーモ
アを見せつつも妖しい雰囲気を醸し出す美輪も、女子高校生にとってはジャニーズのアイ
ドルやディズニーなどの人気キャラクターと同じなのかもしれない。それでは、僕にとっ
ての美輪はなんなのかというと、これはもう、誰がなんといっても、素場らしいシャンソ
ンを歌うれっきとした歌手なのである。音楽関係方面でも、美輪のことを最近では”シン
ガー・ソング・ライターの草分け”などと呼んでいるらしい。そんなレッテルはどーでも
良いが、僕は確かに美輪の歌に衝撃を受けたのである。

美輪の歌をはじめて聴いたのは、20年ほど前だ。現在ではもう無くなってしまったが、地
元にあった感じの良い喫茶店で、ヴォーカル好きのマスターが聴かせてくれたのだ。その
喫茶店は、ユーミンの《悲しいほどお天気》という歌に出てくる「上水沿いのこみち」を
少し入ったところにあり、地元にある女子大とか美大生の学生が一人でゆっくりと立ち寄
るというような店であった。僕は既に学生ではなかったが、美味しい紅茶を飲みにときど
き立ち寄っていた。グループ客などで店が込んでくると、僕のように一人で来ている常連
客は、マスターの手招きで暗黙に奥のテーブルで相席で座ることがおおかった。そんなと
きは、グループ客が帰った後でも、奥のテーブルに座った常連どうしで、音楽や美術や映
画や文学の話を、たがいの立場とかに関係なく話したりすることが多かった。そんなとき
、いつもマスターが自分の好みのレコードをかけてくれるのである。

ぼくが音楽好きなことを知っているマスターは、「武田さん、こんなの知ってる?」と言
って、その日は美輪明宏のアルバムを紹介してくれた。そのようにマスターが紹介してく
れた音楽は、僕が普段聴いているロックやジャズとは異なりヴォーカルが主体のことが多
かった。人の声が、どんな楽器よりも好きなマスターだったのだ。最初はエラ・フィッジ
ェラルドなどのいわゆるジャズ・ヴォーカルを聴かせてくれていたのだが、次第に”ヴォ
ーカルならジャンルを問わず”というように変わっていった。シャンソンのエディット・
ピアフやコラ・ヴォケール、前衛ジャズとシャンソンが合体したブリジット・フォンテー
ヌ、カンツッォーネのミルバ、シナトラやハリー・ベラフォンテ、ロシア民謡を歌う倍賞
千恵子やポニー・ジャックス、シャンソンの越路吹雪など、マスターがぼくに紹介してく
れた”ヴォーカルもの”は多種多彩であったのだ。

その日は、美輪の『魅惑のコンサート』というアルバムだった。「うしろの百太郎」とい
うマンガに霊能力者として載っていた美輪の名前は知っていたが、当時の美輪は現在のよ
うにTVには殆ど出ておらず、ましてや歌なんてまったく聴いた事もなかった。そんな時
代に、僕は《ヨイトマケの唄》をはじめて聴いた。秋から冬になる晴れた昼下がりの午後
、喫茶店の奥のテーブルで《ヨイトマケの唄》を聴き終えた僕は言葉がでなかった。この
ような楽曲があったことに、衝撃を受けていたのだ。同席していた常連の女子大生は、聴
き終えたあと眼に涙をいっぱい溜めていた。”ヨイトマケ”というのは、建設工事などに
従事する女性労働者を指す言葉だそうで、女性労働者がみんなで紐を引っ張って持ち上げ
る建設器具を使うときの「よいと巻け」という掛け声からきているらしい。実際、美輪の
《ヨイトマケの唄》も「とーちゃんのためならエンーヤコーラ」という掛け声で始まる。

泉谷しげるなどのフォーク世代の歌手の歌で、音楽での差別表現を知らないわけではなか
った。しかし美輪が《ヨイトマケの唄》で表現したような劇場型とでも言うべき世界に無
防備に引き込まれた僕は、大きな衝撃を受け言葉を失ったのだった。そして初めて聴いて
から15年くらいたった頃、サザン・オールスターズの桑田佳祐がTV番組でこの曲を披露
した。それ以来、様々な歌手がカヴァーするようになった。しかしマスターがあの昼下が
りの午後に聴かせてくれた、美輪自身による『魅惑のコンサート』のヴァージョンに勝る
ものはない。この曲に感動した僕は、美輪が改名前の丸山明宏名義で出したオリジナル・
シングルも聴いたが、残念ながら情感たっぷりの『魅惑のコンサート』のヴァージョンに
は及ばない。「シャンソンとは人生なんですよ」とある人が僕に言った。その意味がよう
やく理解できたのが、『魅惑のコンサート』の《ヨイトマケの唄》なのであった。

『 魅惑のコンサート 』( 美輪明宏 )
cover
残念ながら廃盤
cover
オリジナル・シングル・ジャケット

1.悪魔, 2.別れの子守唄, 3.亡霊達の行進, 4.星の流れに, 
5.陽は又昇る, 6.ヨイトマケの唄,
7.人の気も知らないで, 8.妾のジゴロ, 9.哀訴, 10.メケメケ,
11.アコーディオン弾き, 12.愛の讃歌