現在のCDシングルではピンときませんが、音楽が表(A面)と裏(B面)に記録された 7インチのシングル・レコードの時代には、両方の面の曲がヒット・チャートに昇ること がありました。個人的に強力だと思う両面ヒットというと、例えばエルヴィスの《ドント ・ビー・クルエル(邦題:冷たくしないで)/ハウンド・ドッグ》、ビーチ・ボーイズの 初の全米No.1ヒットと最高のバラードのカップリング《アイ・ゲット・アラウンド/ドン ト・ウォーリー・ベイビー》、サイケデリック時代の幕開けを見事告げるビートルズの画 期的なシングル《ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー/ペニー・レーン》などが あげられます。日本でも、クレージー・キャッツの《無責任一代男/ハイ、それまでよ》 という強力な両面ヒット・シングルがあります。コースターズの、《サーチン/ヤング・ ブラッド》もそんな強力な両面ヒット・シングルの一つといえるでしょう。 《サーチン(邦題:あの娘をさがして)》と《ヤング・ブラッド(邦題:ハイティーン気 質》(すごい邦題)を歌ったのは、コースターズという黒人グループです。両方の曲を作 り、彼らをプロデュースしたのは、”リーバー&ストーラー”と呼ばれるジェリー・リー バーとマイク・ストーラーという作家チームでした。リーバーもストーラーも白人ですが 、黒人文化を吸収しやすい環境で育ったという共通点があったようです。黒人文化の影響 を大きく受けて成長した二人が、知りあって意気投合したのは当然でしょう。リーバーの 作った歌詞にストーラーが曲をつけるかたちで、伝説的なソングライター・チームができ あがっていったようです。チームとなった二人は、人気が出始めていたR&Bを歌うシン ガー達に曲を提供しはじめます。その一つが、1953年にビッグ・ママ・ソーントーンが歌 い、後にエルヴィスがカヴァーして全米に知れわたった《ハウンド・ドッグ》でした。 リーバーとストーラーは、スパークというレコード・レーベルを立上げます。コースター ズの前身となったロビンスというグループは、スパークが売り出したグループでした。リ ーバーとストーラーのプロデュースしたロビンスのレコードは、スパークというレコード 会社の運営規模を超えるヒットとなったようです。このことが契機となって、リーバーと ストーラーは、やはり黒人音楽好きのトルコ人兄弟が立ち上げたインディーズ・レーベル だったアトランティック・レコードと契約します。それにともない、ロビンズもコースタ ーズと名前を改めてアトランティックに移りました。リーバーの作る物語性の強いユーモ ラスな歌詞が受け、コースターズの人気もあがっていったようです。《サーチン/ヤング ・ブラッド》は、そんな彼らのアトランティックからの第二弾シングルで、両面ともR& Bチャートだけではなくポップ・チャートでも大成功しました。 そして《サーチン/ヤング・ブラッド》は、双方ともビートルズがカヴァーしています。 《サーチン》も《ヤング・ブラッド》も、ビートルズのメンバーが集まって歌うのにピッ タリの雰囲気をもったロックンロールなので、おそらく双方の曲ともグループを結成した 当時の彼らの共通言語のような役割を果したのだと思われます。《サーチン》は、ポール のリード・ヴォーカルでデッカ・オーディション(ビートルズは落選)で歌っています( 『アンソロジー1』収録)。《ヤング・ブラッド》は、ジョージのヴォーカルでデビュー 後にBBCラジオのプログラム用に録音しています(『ライヴ・アット・ザ・BBC』収 録。ジョージは、ビートルズ解散後の『ザ・コンサート・フォー・バングラディシュ』で もレオン・ラッセルのヴォーカル・ヴァージョンで取り上げています。この2曲のうち、 どちらがビートルズ的に興味深いかというと、圧倒的に《サーチン》なのです。 先に書いたように、ビートルズ版の《サーチン》は、ポールがリード・ヴォーカルをとっ ています。おそらくビリー・ガイの黒っぽくて表情豊かなヴォーカルが、ポールの心を捉 えたのでしょう。ビリー・ガイを真似て《サーチン》をカヴァーし続けるうちに、自然と ”ズンチャ、ズンチャ”というリズムもポールの身体に染み付いていったことと思われま す。その結果、どうなったか。ポールは落選したデッカ・オーディションで歌った《サー チン》の代わりの自分のヴォーカル曲として、自作の《ラヴ・ミー・ドゥ》を用意したの ではないでしょうか。もちろんあくまで推測ですが、《ラヴ・ミー・ドゥ》の黒っぽいポ ールのヴォーカル、”ズンチャ、ズンチャ”というリズムは、そのまま《サーチン》の特 徴と重なっているのです。コースターズの《サーチン》のヴォーカルとリズムに耳を傾け ていると、ふとそんな気がしてきてしまうのです。