先月の富樫雅彦に続いて、またお悔やみエッセイとなってしまうかもしれないが、そうな ることをあえて承知でジョー・ザビヌルについては書いておきたいと思う。ジョー・ザビ ヌルといっても、どんな人か知らない人も多いことと思われる。しかし最近では、ザビヌ ルのことを知らない人でも、以外なところでザビヌルの顔を知っている可能性がある。な んと、どういうわけかあのザビヌルが、電車の中吊り広告に登場しているからだ。50代以 上をターゲットにした「Z」(ゼットと書いてジーと読むらしい)という雑誌のイメージ ・キャラクターとして、ザビヌルが起用されていたのである。最初は創刊号だけかと思っ ていたら、毎号表紙を飾って中吊りに登場しているというわけだ。生涯現役、青二才禁止 といった謳い文句の雑誌の「粋Z」(粋なジイサンということらしい)として、寅さんの テキ屋仲間のようなニコニコ顔で毎号表紙を飾っているザビヌルには正直驚いた。 そんなこともあり最近ザビヌルの顔は意外と身近にあったわけだが、ザビヌルの創ってき た音楽そのものを深く知る人は、いまどれだけいるのだろうかと疑問に思う。ジョー・ザ ビヌルは、現在の最高峰のキーボード奏者だった。ザビヌルの操るキーボードから奏でら れる音は、真にザビヌルにしか出しえないエモーショナルなサウンドに満ち溢れていた。 その特徴は、ソロイストのバッキングをしているときでさえ変わらないものであった。そ してぼくにとってザビヌルの音楽は、これまでいろいろなスタイルの音楽を聴いてきたな かにおいて、おそらく最後の最後まで辿り着けない山の頂きのような、物凄く高い位置に ある音楽であった。そしてその頂きは、いろいろな音楽を聴き、音楽の背景を知ることで 音楽への知識も深め、自分で音楽を演奏して音楽の経験を積んできたにも関わらず、いま だに遥か遠いところに存在しているのである。 ザビヌルの音楽に初めて触れたのは、クロスオーヴァー・フュージョン・ブームの最中で ある。1970年代半ばの話しだ。その当時、日本で人気のあったクロスオーヴァーは、ギタ ー主体のバンドが殆どであった。それらのバンドの多くは、セッション・ミュージシャン を主体にしたバンドであり、当時人気のあったスティーヴィー・ワンダーやアース・ウィ ンド&ファイアなどのニュー・ソウルのレパートリーをアレンジャーがバンド向けにアレ ンジしたものが多かった。これらの音楽は元々がヒット曲ということもあってか、初めて その音楽に触れる人にとっても敷居が低く、そして気軽に楽しめるものであった。クロス オーヴァーが、当時流行になっていたカフェ・バーなどでもてはやされたのも、そのわか りやすいスタイルがあってこそといまになって思う。しかし、そのようなクロスオーヴァ ーでカフェ・バーな時代においても、ザビヌルの音楽は全く違っていた。 ザビヌルの音楽は、いくつかわかりやすい曲も無い事はないのだが、ポイントが掴みづら いものだった。その当時、ザビヌルがやっていたのは、ウェザー・リポートというバンド だ。ウェザー・リポートの音楽は、他のクロスオーヴァー・フュージョン系グループと明 らかに異なっていた。ギタリストがいないことも、わかりにくさにつながっていた。ぼく が初めて聴いたのは、『テイル・スピニン(邦題:幻想夜話)』というアルバムである。 冒頭の《マン・イン・ザ・グリーン・シャツ》の、いきなりクライマックスにもっていか れるようなグルーヴ感を持つ演奏。どのようにしたら、このような演奏ができるのだろう と思ったものだ。アレンジャー主体のクロスオーヴァーは、スタジオに入ってメンバーに 譜面を渡して「じゃあいくよ、ワン、ツー、スリー、フォー」で可能な音楽だ。しかし、 ウェザー・リポートのグルーヴ感は、それでは絶対に不可能な演奏なのである。 近年になっていろいろな書物が出たことにより、ザビヌルの音楽にもヒントが得られるよ うになった。しかしそれだけでは解せない部分が、いまだにあるのである。《マン・イン ・ザ・グリーン・シャツ》も、メロディだけとってみれば、ザビヌルの音楽中ベスト5に 入るくらいわかりやすいメロディである。しかし演奏のグルーヴ感の秘密は、いまもって わからないのだ。はっきりとわかるのは、自然発生的なライヴ感を重視しているというこ とだけだ。このように1曲だけをとってみても、わからないことが多いのがザビヌルの音 楽の特徴なのである。断言しよう。幾多のクロスオーヴァー・フュージョン系グループの なかで、いまもって傾聴に値し、かつ研究すべき価値があるのはウェザー・リポート、お よびバンドの頭脳であったザビヌルの音楽だけである。そしてザビヌルの音楽の掴みづら さこそが、いまだにザビヌルの音楽を斬新かつ魅力的にしているのだと思うのである。