●ポール・マッカートニーの内省的音楽世界

以前、リンゴのアルバム『チューズ・ラヴ』を取り上げたときも同様だったが、近年のポ
ール・マッカートニーの仕事には油断していた。なにしろ近年のポールの話題といえば、
へザー・ミルズとの結婚(その後離婚)、動物愛護の活動など音楽以外の話題が多く、肝
心の音楽活動もクラシックおよびアヴァンギャルド系アルバムの発表、もしくはツァーが
中心で、正直なところそれほど興味がもてなかったのだ。2005年の夏に日本でもTV中継
されたライヴ・エイトのオープニングで、U2と一緒に自身の代表作《サージェント・ペ
パーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド》を演奏する”明らかに年をとった”ポール
の姿に、「これからはそうやって、いままで創った数々の名曲や傑作をツァーでプレイし
て世界中の人を楽しませてあげれば、それでもう良いのではないか」という気持ちになっ
ていた。

だからライヴ・エイトと同じ年の9月に発売された『ケイオス・アンド・クリエイション
・イン・ザ・バックヤード(邦題はさらに”〜裏庭の混沌と創造”と続く)』も、聴いて
はいなかった。しかし実際に聴いてみると、ポールの才気が発揮されている実に魅力的な
小品集だったのだ。タイトルは1曲目に収録されているアルバムからの最初のシングル《
ファイン・ライン》の歌詞の一節であるが、この1曲目からアルバムがいままでのポール
のアルバムとは異なるテイストを持っていることにすぐに気づかされた。《ファイン・ラ
イン》は軽快なテンポのロック・ナンバーだが、間奏のピアノが鳴り出すあたりから曲は
アートの香りが漂いはじめる。ヴォーカルだけではなくポールが演奏する各楽器も含めて
部品のように存在しているメロディの断片が、いままでに聴いたことのないポールの世界
を作り出しているのがわかるのである。

そこにあるのは、ポールの新しい世界であった。言うまでもなくポールは元ビートルズの
ポールであり、ビートルズ解散後もウィングス〜ソロ時代にかけて数々の珠玉のメロディ
のヒット曲を創ってきたその人である。しかし『ケイオス・アンド・クリエイション・イ
ン・ザ・バックヤード』は、ヒットを狙った作品ではなく、自らの赴くままにひたすら自
身の内省的な世界に向かうような作品がならんでいる。それはまさに、弟のマイク・マッ
カートニーが撮影した裏庭でギターを一人爪弾いているジャケットのように、ポールが一
人になって自分の中の音楽世界と対峙することによって生まれた作品なのであろう。ポー
ル自ら「《ブラック・バード》の娘」と呼ぶ《ジェニー・レン》や、《フォー・ノー・ワ
ン》を思い起こさせる《イングリッシュ・ティー》のような作品もあるが、基本的にビー
トルズでもウィングスでもない全く新しいポールの世界が広がっているのである。

では何が、ポールをそのような内省的な世界へ向かわせたのであろうか。プロデューサー
のナイジェル・ゴドリッチの助言もあったのであろうが、ポールの音楽世界観を大きく変
えることのできるプロデューサーなど、ジョージ・マーチンを含めてもう誰もいないだろ
う。おそらくは、1998年4月の愛妻リンダの死、そして2001年11月の苦楽を共にした盟友
ジョージ・ハリスンの死が、ポールの心を内側に向かわせたのであろう。実際にアルバム
には、「この曲を書いているとき、ジョージ・ハリスンになった気がした」と発言してい
る《フレンズ・トゥ・ゴー》(本当にポールがジョージになってジョージの思いを書いた
ような曲で、ジョージ・ファンのぼくは泣きました)が収録されている。しかし、ポール
を内省的な音楽世界に向かわせた要因は、それだけではないと思うのだ。アルバムの各作
品に色濃く匂うのが、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)の影響なのである。

ポールはこのアルバムの制作前に、ブライアンのアルバム『ゲッティン・イン・オーヴァ
ー・マイ・ヘッド』に収録の《フレンズ・ライク・ユー》でブライアンと共演。そしてブ
ライアンのロンドンでの歴史的な『スマイル』の初演では客席で鑑賞し、ビーチ・ボーイ
ズの伝説の未発表アルバム『スマイル』を再構築して自らの作品として完成させたブライ
アンに惜しみない拍手を送っている。精力的に活動する同じ年齢のブライアンの姿を観て
、内省的な世界に向かいつつあったポールのアーティスト魂はおおいに刺激されたに違い
ない。《アット・ザ・マーシー》のメロディや《プロミス・トゥ・ユー・ガール》の構成
には、明らかにブライアンの影響が聴き取れる。おそらくポールがアルバムを作るときに
念頭においていたのは、ブライアンとブライアンの作った傑作の数々に違いない。そして
いまなおこれだけの作品を創るポールの才能は、やはり感服せざるを得ないのであった。

『 Chaos and Creation in the Backyard 』( Paul McCartney )
cover



1.Fine Line, 2.How Kind of You, 3.Jenny Wren, 4.At the Mercy,
5.Friends to Go, 6.English Tea, 7.Too Much Rain,
8.Certain Softness, 9.Riding to Vanity Fair, 10.Follow Me,
11.Promise to You Girl, 12.This Never Happened Before, 13.Anyway

Paul McCartney (vo,p,elb,g,elg,ds,per,flh,cello,org,melodica,recorders,
autoharp,tubular bells,harmonium,gong,glockenspiel,moog),
Millennia Ensemble(strings on 1,4,6 & 10),Jody Talbot(arr on 1,4,6 &10),
Pedro Eustache(duduk on 3),
Jason Falkner(elg on 4, classicl-g on 8), James Gadson(ds on 4 & 9),
Joey Waronker(bass drums,shaker on 8),
The Los Angels Music Players(strings on 9), David Champbell(arr on 9),
Rusty Anderson(g on 10), Brian Ray(g on 10), Abe Laboriel Jr(per on 10),

Released  : Sep 7,2005(UK), Sep 13,2005(US)
Producer  : Nigel Godrich
Label     : Blue Note
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