ロキシー・ミュージックとの出会いは、NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」とい うTV番組だった。海外ミュージシャンのコンサートを不定期に放映していたその番組で 、ぼくは初めて彼らの音楽と”動く姿”を観たのだった。しかし、それまで全く知らなか ったのかというと、そうではない。ミュージック・ライフといった洋楽雑誌を読んだり、 渋谷陽一のラジオ番組を好んで聞いていた当時中学生のぼくは、ロキシー・ミュージック というバンドが存在していることはもちろん知っていた。しかし、とても彼らのアルバム を買う気にはなれなかった。理由は、輸入盤屋でよく見かけた当時の彼らの最新作『カン トリー・ライフ』のジャケットを見てもらえばわかる。『カントリー・ライフ』のジャケ ットは、いくら洋楽好きとはいえ、中学生が手を出すにはあまりにも刺激的すぎた。それ に、そのジャケットからは、どんな音楽が鳴り出すのか全く想像がつかなかった。 ロキシー・ミュージックのアルバムに手を出さなかった理由は、それだけではない。ロッ クの世界では長髪が当たり前だった時代において、ダンディズム漂うブライアン・フェリ ー(ロキシー・ミュージックのヴォーカリスト)の容姿は、彼らに対する興味を抱かせな いのに十分であった。まだ固定観念というフィルターをとおして音楽を聴いていた当時の ぼくにとって、ロックのヴォーカリストというのはレッド・ツェッペリンのロバート・プ ラントのような長髪で雄叫びをあげるような人のことであった。短髪で、どこか浮気がバ レたときの二枚目のような雰囲気の漂うフェリーの容姿は、ぼくにとってはロック・ヴォ ーカリストのものではなかったのだ。そんなこんなで、ロキシー・ミュージックとは縁が なかったのだが、不定期で海外ミュージシャンのライヴを放映していた「ヤング・ミュー ジック・ショー」で初めてロキシー・ミュージックを観ることになったのである。 「ヤング・ミュージック・ショー」で放映されたライヴでは、フェリーのソロ作に収録さ れていたボブ・ディランのカヴァー《ア・ハード・レイン・ゴナ・フォール》といった曲 も演奏されていたと記憶している。汗だくになって歌っているフェリーの姿を観て、それ までロキシー・ミュージックに対して抱いてきたイメージが少し変わった。音楽はまだ身 体の中にスッと入り込んできたわけではなかったが、少なくとも彼らに対する固定観念は 崩れたのだった。そんなロキシーが、1980年代に入ってぼくを完全にブッとばしたアルバ ムを発表した。そのアルバムの音楽は、ポップ・グループ、リップ・リグ&ザ・パニック 、ピッグ・バッグ、バウワウワウなどの同時代のイギリスのニュー・ウェィヴ勢の音楽と 並べても遜色ないくらい新しく、しかも屹立していた。その見事なアルバムが、彼らの最 高傑作と言われる『アヴァロン』だ。 ぼくは、1980年代のロック・アルバムの中ではこのアルバムが最高傑作だと思っている。 優れたジャケットのアートワークと同様に、『アヴァロン』に収録された音楽は厳格かつ 優美であり、浮遊感に溢れ、抑制された美しさがあった。一曲目の「モア・ザン・ディス (邦題:夜に抱かれて)」ではからずもフェリーは歌っている、「もうこれ以上、何もな い」。その言葉どおり、フェリーは、このアルバムで到達した以上の音楽を、ロキシー・ ミュージックとしてもソロでも創ることはできなかった。実際に、ロキシー・ミュージッ クがこのアルバムで到達した音楽的到達点は前人未到であり、その後幾多のミュージシャ ンがこのアルバムのサウンド・プロダクションを模倣したと言われるのも理解できる(当 然のことながら、越えることはおろか同じ地点に到達できたミュージシャンはいなかった が)。そのような意味においても、『アヴァロン』は天高くそびえたっているのである。 収録された曲の歌詞は儚くも自虐的ではあるが、アルバムの音楽全体を覆っているのはロ キシー・ミュージックが到達した”音楽的確信”であり、元スライ&ザ・ファミリー・ス トーンで当時は売れっ子のセッション・ミュージシャンだったアンディ・ニューマークの ズッシリとしたビートが、その”確信”をより確かなものにしている。その”確信”は音 楽に力強さを与えているが、その周りを美しいベールで包み込むかのように、シンセサイ ザー、ギター、サックスといった楽器の音が次々と現れては消えていくのである。遥か昔 に作られて歴史の風雪に耐えてきた美しい美術品を観たときなどに、あまりの勇壮な美し さに言葉を失ってしまうことがあるが、このアルバムを初めて聴いた時は、それと同じよ うな感覚を感じた。しかしどんな言葉を並べたとしても、あまり意味はない。確実に音楽 のほうが勝っている。それがロキシー・ミュージックの『アヴァロン』だ。