●ロックへの旅(第二章):ヒーズ・ア・レベル
    (ザ・クリスタルズ:1962)

皆さん、こんにちは。毎月の始めの週は、1962年を起点とした「ロックへの旅」の第二章
です。今回は1962年11月最初の全米No.1ソング、クリスタルズの《ヒーズ・ア・レベル》
という曲です。プロデュースは、ついに出ましたフィル・スペクター。伝説のプロデュー
サーがついに登場です。スペクターは、自分でグループを組んで全米No.1ヒットも飛ばし
たことのある実績の持ち主ですが、プロデュース業が自分に向いていると考えてプロデュ
ーサーに転身し、数々のロックンロール・クラシックスを世に送り出した人です。クリス
タルズの《ヒーズ・ア・レベル》も、そんなロックンロール・クラシックスの一つです。
そしてこの曲は、プロデューサーという人がどのような役割と権限を持っているのかとい
うことを、非常に考えさせられる曲なのです。具体的にはどのようなことなのか、順を追
ってお話ししていきましょう。

まず有名な話ですが、《ヒーズ・ア・レベル》を歌っているのはクリスタルズではないと
いうことです。クリスタルズは、元々は教会で歌っていた黒人女性5人組のヴォーカル・
グループで、スペクターが作ったレコード会社の”フィレス”の第一弾シングルも彼女達
の曲でした。しかし《ヒーズ・ア・レベル》はクリスタルズのメンバーは一人も参加せず
、実際に歌っているのはブロッサムズというセッション・シンガーのグループでした。そ
の中の一人ダーレン・ラヴは、後にソロ歌手として成功しています。実は《ヒーズ・ア・
レベル》でリードをとっているのは、このダーレン・ラヴなのです。ということは、《ヒ
ーズ・ア・レベル》というシングル盤は、誰の作品になるのか。クリスタルズ?、それと
もダーレン・ラヴあるいはブロッサムズ?。いや、ここはやはり、プロデューサーのフィ
ル・スペクターの作品と捉えるのが正解なのだと思います。

スペクターは「本人がこれないなら、セッション・シンガーを使えばいい」と考えたので
しょう。ここにプロデューサーのスペクターが当時持っていた権限を伺いしることができ
ます。では、なぜそこまでして録音する必要があったのか。当時のアメリカのヒット作家
の日常は、”今日書いた曲が1週間後には大ヒットになっていた”という物凄い早いサイ
クルだったそうです。《ルイジアナ・ママ》でお馴染みのジーン・ピットニー作の《ヒー
ズ・ア・レベル》は、競作になることが決まっていました。おそらくこの曲のヒット性を
確信していたスペクターは、競作ヴァージョンが広まる前に自身のプロデュース・ヴァー
ジョンを広めたかったのでしょう。そのような事由とは無関係に素場らしいのは、転調し
て突入するミドル・エイトの後半です。”ダン・ダ・ダン”というリズムのブレイクには
後のスペクターの大傑作《ビー・マイ・ベイビー》のエコーが見え隠れしているのです。

《 He's a Rebel 》( The Crystals )
cover

The Crystals : 
Barbara Alston, Dee Dee Kennibrew, Mary Thomas, Patricia Wright and La La Brooks

Written  by: Gene Pitney
Produced by: Phil Spector
Released   : July, 1962
Charts     : POP#1(US)
Label      : Philes

Appears on :The Best of the Crystals 
1.There's No Other Like My Baby, 2.Oh, Yeah, Maybe, Baby, 3.Uptown,
4.What a Nice Way to Turn 17, 5.He Hit Me (And It Felt Like a Kiss),
6.No One Ever Tells You, 7.He's a Rebel, 8.I Love You Eddie,
9.Another Country-Another World, 10.Please Hurt Me,
11.He's Sure the Boy I Love, 12.Look in My Eyes,
13.Da Doo Ron Ron, 14.Heartbreaker, 15.Then He Kissed Me, 16.I Wonder,
17.Little Boy, 18.Girls Can Tell, 19.All Grown Up


※上記のイメージをクリックすると、Amazonにて購入できます