皆さん、こんにちは。毎月の始めの週は1962年10月を起点とした「ロックへの旅」の第二 章ですが、前回は突然の植木等さんの訃報によって予定していた内容を変更しました。本 来予定していた内容を、改めて今週お届けすることにします。考えてみれば、植木等の全 盛期も「ロックへの旅」の第二章と同じく1962年です。まったく関係性がないわけではあ りません。クレージー・キャッツの傑作《ハイ、それまでよ》は、植木等によってフラン ク永井ばりの低音で歌われる前半のムード歌謡調が、一転して途中からツィストに突入し ていくというスリリングな展開を持つ楽曲です。この曲に関連して、1962年にツィストが 全米でブームになっていたという事実にさらっとふれました。フレッド・ロビンソンとい う人がまとめた「ビルボード年間トップ100ヒッツ」という本によると、1962年の年間 トップ100には「7曲のツィスト・ナンバーが登場している」と書かれています。 フレッド・ロビンソンは、チャビー・チェッカーのリバイバル・ヒット《ザ・ツィスト》 、ジョイ・ディー&ザ・スターライターズの《ペパーミント・ツィスト》、アイズレー・ ブラザーズの《ツィスト&シャウト》など、題名によって”ツィスト・ナンバー”をカウ ントしているようなので、1曲大事な曲を忘れているようです。その曲は、まだ創設期の モータウンが放ったダンス・ナンバー、コントゥアーズの《ドゥ・ユー・ラヴ・ミー》で す。モータウンの作品は、スプリームスやフォー・トップスの傑作のように、次第に洗練 されたポップなものへと変化していきます。しかし創設期において創設者のベリー・ゴー ディー・ジュニアが関わった《ドゥ・ユー・ラヴ・ミー》やバレット・ストロングの《マ ネー》(ビートルズのカヴァーがあまりにも有名)は、何故かワイルドで下品な味がする ところが面白いところであります。 コントゥアーズといえば《ドゥ・ユー・ラヴ・ミー》というように一発ヒットのイメージ が濃い曲ですが、デイヴ・クラーク・ファイヴによるカヴァーや、映画「ダーティ・ダン シング」でのリヴァイバルによって人々の記憶に残る曲になっているようです(我が国で もシャネルズの《ハリケーン》などDNAを感じさせる曲は少なくありません)。しかし 大音量で一聴すれば、強烈なヴォーカルとドラムスによって、間違いなく記憶に残る曲と なるでしょう。ぼくは、大音量で聴いていると自然と腰をシェイクしたくなります。一度 終わったかに見せかけて再度始まるアイディアも秀逸です。ディスコ時代なら、間違いな く12インチ・ロング・ヴァージョンが作られていたことでしょう。ワイルドさが売りのコ ントゥアーズとは逆に、モータウンは洗練を一つの売りとする道を歩み始めます。そのよ うな状況で、コントゥアーズへの興味は失われていったのかも知れません。