●植木等・底抜けの明るさを持つ天性の歌声

2007年3月27日、植木等が亡くなった。1927年2月生まれなので、80歳になったばかりだ
った。少し前に、青島幸男の葬儀に参列していた姿をTVで観て、この日がくるのは遠い
未来ではないような気がしていた(鼻にチューブを入れながら参列していた姿からは、無
理をおしても旧友青島の葬儀に参列したかったという意志が感じられた)。それにしても
、こんなにも早くくるとは。なんとも言い難い気持ちになる。いつもは月初の最初の週は
、「ロックへの旅」の第二章と称して1960年代の音楽について書いているが、今回は予定
を変更して植木等について書いておきたい。テレビなどでは、俳優、コメディアンとして
姿が語られることが多いが、植木等は紛れもなく歌手として第一級の力を持っていた人で
あった。その歌声や魅力に感じ入ったことのある人は、大瀧詠一の名前を出すまでもなく
大勢存在する。今回は、ぼくの観てきた植木等とその歌の凄さについて書いておきたい。

ぼくが植木等と出会ったのは、「シャボン玉ホリデー」や「ヒット・パレード」といった
TVを通してだろう。曖昧な記述になってしまうのは、幼少の頃なので明確な記憶がない
からだ。いくつかのコントや「お呼びギャグ」などは憶えているが、それがリアルタイム
での記憶なのか、80年代後半の上記の番組の再評価の時代に観たときの記憶か定かではな
い。記憶が幾分か鮮明になるのは、1971年にドリフターズの「8時だよ!全員集合」が一
度最終回を向かえて、翌週からクレージー・キャッツの「8時だよ!出発進行」に変わっ
たあたりからで、「全員集合」の最終回(その後再開)にクレージーが出てきてステージ
の上で交代劇を演じたことや、コントが機関車をメインにしたものだったことは憶えてい
る。しかし、この時点で小学生だったぼくが好きだったのはドリフターズであり、植木等
の持つ特別な面白さに気がついていたというわけではなかった。

植木等のおかしさやクレージー・キャッツの音楽の面白さに気がつくのは、1970年代半ば
になってからだ。その当時、TVの深夜枠でクレージー・キャッツの主演映画を頻繁に放
送していたのである。これにハマッた。映画の中で次々に歌われる、《無責任一代男》、
《どうしてこんなにもてるんだろう?》、《ハッスル・ホイ》、《ゴマスリ行進曲》など
のクレージーのヒット曲に、アッというまに魅了された。それまでに面白い歌といったら
”あのねのね”くらいしか知らなかったので(ドリフターズもコント55号もレコードを
出していたが、面白いと呼べるものではなかった)、”あのねのね”とは全くちがった面
白さを持ったクレージーの音楽(および映画)に見事にハマり、深夜枠の再放送を心待ち
にするようになった(NTVも日曜日の午後にクレージー映画を放送していたが、「無責
任清水港」や「花のお江戸の無責任」などの時代モノが多く面白くなかった)。

「ハイ、それまでヨ」にヤラレタのも、深夜枠のTVで観た「ニッポン無責任時代」だ。
フランク永井ばりの低音でムーディーに歌いだす植木等に、世の中の多くの人と同じよう
に「こんな歌を歌うなんて、植木等ももうダメだ」と一瞬思った。それもつかの間、「て
なこと言われてその気になって」からのツイストへの突入に、作家の小林信彦も書いてい
るように「ワン・ツー・パンチのダブル・パンチ」をくらったのだ。一瞬ではあるが「こ
んな普通のムード歌謡みたいな曲を歌う植木等はつまらない」と思った後に、”サウンド
によって”裏切られる快感。こんなに刺激的な曲に出会ったことはなかった。余談ながら
「ハイ、それまでヨ」のリリース当時(1962年)のアメリカは、チャビー・チェッカーの
「エド・サリヴァン・ショー」出演(1961年10月)で爆発したツイスト・ブームのさなか
にあった。当時の最新流行のリズムが、音楽的な効果として取り入れられていたわけだ。

上記ようなサウンド面におけるクレージー・キャッツの素晴らしさについては、1970年代
後半から大瀧詠一などのミュージシャンにより再評価されだしたのだといわれている。残
念ながらぼくは、伝説になっている大瀧自身のDJによる「ゴー、ゴー、ナイアガラ」の
クレージー・キャッツ特集は聞いていない。しかし、大瀧が1980年代に植木等本人とゲス
ト出演した山下達郎の「サウンド・ストリート」はエア・チェックしたテープを持ってい
る。そこでの大瀧による愛情に溢れたクレージー・サウンドの紹介は、多いに共感するも
のがあった。大瀧はその後自ら監修を行って、谷啓のソロも含めたクレージーの全盛期の
シングルをほぼ網羅したベスト・アルバム『クレージー・キャッツ・デラックス』を1986
年に発表する。ぼくは、このアルバムによって、はじめて植木等を、そしてクレージー・
キャッツをきちんとしたかたちで聴いたのだ。

「体操の音楽」の口笛を取り入れた《ゴマスリ行進曲》、ビートルズとヴェンチャーズを
ごちゃ混ぜにした《遺憾に存じます》、音頭とサイケが入り混じった《シビレ節》など、
はじめて”意識的に聴いた”クレージー・サウンドにはビックリさせられた。そしてなに
よりも凄いと思ったのが、そのサウンドに負けないパワーと明るさを持った植木等の歌だ
った。「二日酔いでも、寝ぼけていても」の《ドント節》や「これじゃ身体にいいわきゃ
ないよ、わかっちゃいるけどヤメラレね」の《スーダラ節》には多いに元気をもらい、多
くの人と同様にまるで自分のことを歌っている歌のような気がしたものだ(余談だが、《
どうしてこんなにもてるんだろう》も同様であった)。『クレージー・キャッツ・デラッ
クス』によってこれらの植木等の歌声をよく聴いた時期はちょうど学生から社会人になっ
た頃だったので、余計に影響が大きかったように思う。

サウンドや歌詞について多くの人が賛辞を贈ってきたが、そこに命とパワーを吹き込んで
いるのは植木等の歌声である。底抜けの明るさを持つ天性の歌声。その声に、どれだけの
元気を貰ったことか。そんな植木等の凄さをわかってもらうための1曲をあげるならば、
《だまって俺についてこい》だろう。「ぜにのないやつは俺んとこにこい」と言っておい
て、「俺も無いけど心配するな」と落し、「見ろよ青い空、白い雲」とクルーナー・ヴォ
イスで歌い上げ、「そのうちなんとかなるだろぉー、ブワッハッハッハ」と笑い飛ばす。
これだけ説得力のある歌声はない。「この曲の主人公は正気ではないのではないか」とい
う印象を感じさせるほどだ(実際、放送禁止になったという)。しかし主人公が見上げる
空と笑い声の向こうには、無限の希望が広がっている。こんなに素場らしい映像が頭の中
に浮かぶ曲は他にない。この1曲だけでも、ありがとうと言いたい気持ちでいっぱいだ。

参考文献
「日本の喜劇人」(新潮文庫)/小林信彦
「喜劇人に花束を」(新潮文庫)/小林信彦
「ザ・オフィシャル・クレージー・キャッツ・グラフティ」(TREVILLE)
LPレコード『クレージー・キャッツ・デラックス』解説/厚家羅漢(大瀧詠一)

『50周年記念ベスト 日本一の無責任大作戦 』( クレージー・キャッツ )
cover

Disk1:
1.スーダラ節(インストゥルメンタル), 2.スーダラ節, 3.ハイ それまでョ,
4.ゴマスリ行進曲, 5.無責任一代男, 6.ショボクレ人生, 7.学生節, 8.シビレ節,
9.ドント節, 10.ウンジャラゲ, 11.馬鹿は死んでも直らない, 12.遺憾に存じます,
13.五万節(オリジナルヴァージョン), 14.愛してタムレ, 15.いろいろ節,
16.何が何だかわからないのよ, 17.だまって俺について来い, 18.ホンダラ行進曲,
Disk2:
1.Still Crazy For You, 2.旅愁, 3.毎度毎度のおさそいに,
4.二十一世紀音頭(final mix), 5.白日夢, 6.おれの番だ!, 7.あんたなんか,
8.アッと驚く為五郎, 9.アイヤ・ハラホロ,
10.谷啓スペシャル〔黒い炎(Get It On)~カイマナ・ヒラ~アロハオエ〕, 11.あんた誰?,
12.スーダラ節’79(結成25周年ヴァージョン), 13.地球温暖化行進曲, 14.どこまでも空,
15.実年行進曲, 16.悲しきわがこころ, 17.無責任数え唄,
18.星に願いを(植木等ショー・エンディングテーマ)LIVE,


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