さてさて、またまたやってきた「ロックへの道」。前回の「ロックへの道」では、カント リー・シンガーのソニー・ジェームスが歌った《ヤング・ラヴ》を紹介しました。「ロッ クへの道」と謳っているにもかかわらず、《ヤング・ラヴ》はいわゆるロックンロール・ クラシックではありません。それでも《ヤング・ラヴ》を取り上げた理由は、ただ一つ。 ソニー・ジェームスの《ヤング・ラヴ》は、ジョン・レノンの曲創りと歌い方に影響を与 えたのではないかという推測によるものでした。もちろん、それはぼくの想像にすぎませ ん。公式なジョンの発言として、そのような言葉が残っているわけでもないのです。しか し1956年暮れから1957年のヒット曲を追って聴いていくと、プレスリーの曲を含めてもな かなか”ハッと”する曲がでてこないのですが、ソニー・ジェームスの《ヤング・ラヴ》 で初めて”ハッと”させられるのです。それは紛れもない事実なのです。 ”ハッと”するという表現は少し説明しておいたほうがよいですね。”ロックっぽい”と か”ロックの歴史的に云々”という意味ではなく、”なんかちょっとカッコイイ”という ようなニュアンスで使っています。もう少し具体的にいえば、”真似てみたくなるような 表現”とでもいいましょうか。ソニー・ジェームスの《ヤング・ラヴ》を聴くと、ジョン ・レノンが無意識に歌いまわしを真似たのではないかという気がしてくるのです。1940年 生まれのジョンは、当時はバリバリのティーン・エイジャー。音楽好きが昂じて、自分の グループのクォリーメンを結成したばかり。レコードにも、熱中していたそうです。ビー トルズの曲は単なるR&Bを超えたポップな魅力があるので、ぼくの想像もあながち間違 えではないかもしれません。そして今回紹介する曲も、《ヤング・ラヴ》と同様に当時の ジョンに影響を与えたのではないかと想像する曲です。 その曲は、バディ・ノックスの《パーティー・ドール》です。ノックスは1933年生まれ。 ジョンよりも7つ上です。ロック史上有名なもう一人のバディ(ホリー)と同じく、テキ サス出身です。《パーティー・ドール》は、ロックンロール時代においてほぼ最初に大ヒ ットした自作自演ナンバーで、ノックスがこの曲を創ったのはなんと12歳のときだそうで す。また彼は、リズム・オーヒッズという、ギター、ベース、ドラムスというグループを 持っていました。ノックス自身も歌いながらギターを弾くので、この編成はビートルズと 同じ編成になります。《パーティー・ドール》は、ジョンがクォリーメンを結成したばか りの1957年の3月にアメリカで大ヒットしていました。エルヴィスなどアメリカのロック ンロールに夢中だったというジョンが、この時期の大ヒット曲の《パーティー・ドール》 を聴いていないとはちょっと考えにくいのです。 ノックスの《パーティー・ドール》は、「ウェー」とジョンのクォリーメン時代からのレ パートリーのロックンロール・クラシック《ビー・バップ・ア・ルーラ》と同じように始 ります。ロカビリー調の楽しげなノックスの歌と、間奏のロックンロールそのものになる ギター・ソロの部分のコントラストが興味深いところです。ロックン・ロール調のギター ・ソロは、同時期のエルヴィスのヒット曲《トゥ・マッチ》のギター・ソロと比較してみ たとしても見事な出来のソロです。つまり《パーティー・ドール》には、それまで大人達 から槍玉にあげられていたロックンロールが、音楽的な要素としてうまく取り入れられて いるのです。この当時から、大人達(レコードの制作者達)がロックンロールの商業的な 価値に気がつき始めたのでしょう。次第に”プロフェッショナル”になっていくエルヴィ スの歌の魅力が少なくなっていくのも、そのようなことと無関係ではないと思います。 話しを戻すと、ロックンロールの要素の入った《パーティー・ドール》が、ジョンの耳を 捉えなかったはずはありません。各コーラスの最後では、「アイミン、ラヴ、トゥユー、 トゥユー」と歌われています。ここにぼくはハッとさせられたのです。ジョンは、この部 分を転用して《ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット》の「アーミンラ ヴ、ウィジュゥ」としたのではないでしょうか。ジョージに歌わせたり、後にビリー・J ・クレーマー&ザ・ダコタスに提供したりと、ジョンは自作の《ドゥ・ユー・ウォント・ トゥ・ノウ・ア・シークレット》を低く評価していたふしが見受けられます。おそらく、 無意識のうちに転用したことに気がついたからではないでしょうか。もちろん、根拠など ありません。「それはないでショ」という声も聞こえてきそうです。しかし想像を巡らせ ると、昔の曲も違って聴こえてくるから不思議です。だから、やめられないんですよね。