1956年の暮れから1957年初頭にかけてのヒット曲を聴いていて感じるのは、ロック的にハ ッとさせられる曲が少ないことです。例えば、この時期最もヒットしていたガイ・ミッチ ェルの《シンギン・ザ・ブルース(邦題:ブルースを唄おう)》。プレスリーの《ラヴ・ ミー・テンダー》からトップの座を奪い取り、そのまま9週間も全米チャートのトップを 独走したこの曲も、オールディーズ・ナンバーとしての知名度はさほどありません。《ブ ルースを唄おう》という曲は、ロックンロールというよりはカントリーまたはポップスの テイストが濃厚な曲です。”ブンチャッ、ブンチャッ”というリズムにのせて、口笛によ るメロディが聴こえてくるイントロは、青空の下の高原などでビールを飲んでいるような 映像のCMにピッタリです。”ブルース”という言葉につられて、その言葉から連想する 音楽を想像してしまうと、まるっきり肩すかしをくらうことでしょう。 チャートの他の曲を見回しても、フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、パティ ・ペイジなど、ロックンロールを聴く若者達とは異なる層が好んで聴くような音楽が並ん でいます。頼みの綱のプレスリーでさえ《ラヴ・ミーテンダー》で甘くせまっていたので すから、そのときのレコード購買層の気分はアダルトな音楽を求めていたということでし ょうか。ちなみにプレスリーは1957年初頭に《トゥ・マッチ》を出し、もちろんNo.1にな りますが、この曲もぼくには面白いものではありません。《トゥ・マッチ》は確かにロッ クンロールのスタイルをとってはいますが、本質的なところでロックンロールを感じない のです。デビュー当時のプレスリーにあった、隠しようのない暴力性とか性の匂いが微塵 も感じられません。まるで去勢されてしまったかのようなのです。3連符の少しヘンなギ ター・ソロだけは少々ハッとさせられますが、あえて取り上げるほどでもありません。 この時期にクロスオーヴァー・ヒットを飛ばしたロックンローラーとして、もう一人ファ ッツ・ドミノがいます。彼は、いつものように独特のゆったりとしたマイ・ペースな歌い 方で、グレン・ミラーのカヴァーの《ブルーベリー・ヒル》をヒットさせました。グレン ・ミラーのスィング・ジャズを見事にリズム&ブルースにしているところは流石ですが、 ぼくはダンス音楽としてのスィング・ジャズとロックンロールはさほど遠いところにない 音楽だと思っているので、これまたハッさせられるものではありませんでした。ドミノの 歌った《ブルーベリー・ヒル》は、子供達にも安心して聴かせることのできる黒人ロック ンロールといったところでしょうか。ドミノの《ブルーベリー・ヒル》を聴いていた層と 、前述のシナトラやナット・キング・コールの当時のヒット曲を聴いていた層というのは 、おそらくシンクロしていたのではないかと思います。 ロックンロールではありませんが、1957年の2月の大ヒット曲、”デェーオ!”の掛け声 で有名な《バナナ・ボート》のハリー・ベラフォンテには流石にハッとさせられます。前 年から続いていたというカリプソ・ブームにのせて、この曲でベラフォンテは世界的に有 名になりました。ぼくが子供の頃も、ラジオなどでよく流れていたのを憶えています。音 楽をさほど聴かない人でも、「この曲知ってる」って思うような類の曲の一つでしょう。 あの《ウィー・アー・ザ・ワールド》のセッションでも、多くのスター達がベラフォンテ を讃えてこの曲を歌う場面がありました(ベラフォンテは、《ウィー・アー・ザ・ワール ド》の提唱者です)。よっぽど単独でとりあげようか迷いましたが、「ロックへの道」の 本流とは少し異なることと、ベラフォンテやカリプソとロックの関係(皆無ではない)を 探るにはもう少し多くの時間が必要だったので、今回はやめました。 1956年暮れから1957年初頭のヒット曲で、ぼくがロック的に最初にハッとしたのが、カン トリー・シンガーのソニー・ジェームスが歌った《ヤング・ラヴ》です。この曲は、1957 年2月の競作ヒット曲でした。好成績を残したのは、若手俳優タブ・ハンターの歌ったヴ ァージョンです。しかしジェームス版《ヤング・ラヴ》には、何かひっかかるものがある のです。センチメンタルなコード進行とメロディも印象的ですが、「アーハァーハイ」と か「エーヘェーヘェー」などと伸ばすジェームスの歌い方。これがひっかかるのです。ど ういうことかというと、ジェームズ版《ヤング・ラヴ》はジョン・レノンの曲創りと歌い 方に影響を与えたのではないかと思わせるのです。真偽のほどはわかりません。しかし、 この曲のヒット直後に自分のグループを結成するジョンが影響を受けていても不思議はな いと思います。このような意外な発見があるので、ロックへの旅はやめられないのです。