キース・ジャレットというと、現代ジャズ・ピアノの最高峰といったように語られること が多い。数多いソロ・コンサートや、ジャズのスタンダード曲とそれをモチーフにした高 度な即興演奏を融合させたピアノ・トリオのスタンダーズによって、そのようなイメージ が定着した感がある。フラワー・パワー全盛期のフィルモアで注目を浴びていたチャール ズ・ロイド・カルテット時代からの盟友のドラムスのジャック・ディジョネット、および ベースのゲイリー・ピーコックを擁して80年代にスタートしたスタンダーズの音楽は、意 外性もあって確かに新鮮ではあった。しかし、それ以前のキースの活躍を知る人は、「い ままでのように、もっといろいろな音楽を聴かせてほしい」と思っている人も少なくない はずだ。なにしろ70年代のキースといったら、80年代後半のプリンスのように、アルバム ごとに異なった表情の音楽を提示してくれていたのである。 70年代のキースの音楽活動は、マイルス・デイヴィス・グループでのファンク、ゲイリー ・バートンとの双頭コンボによるフォーク・ロック・ジャズ、そして一連のピアノ・ソロ 作品のきっかけとなった傑作『フェイシング・ユー』でスタートする。マイルスのバンド 、バートンとの双頭リーダー作、そして『フェイシング・ユー』のソロと、全く異なる表 情の音楽を同時期にこなしていることに、キースの才能の一端を垣間見る気がする。そし て同じ頃にキースがスタートさせた自己のグループが、俗にアメリカン・カルテットと呼 ばれるグループだ。オーネット・コールマンのグループにいたテナー・サックスのデュー イ・レッドマンとベースのチャーリー・ヘイデン、ドラムスは『ワルツ・フォー・デビー 』のビル・エヴァンス・トリオで有名なポール・モチアンを擁したカルテットである。こ のグループの残した音楽が、多様なキースの音楽の中でもとにかく凄いのである。 このアメリカン・カルテットによる傑作といえば、『宝島』、『生と死の幻想』、『心の 瞳』などいくつもあるが、演奏の密度と緊張感、(ジャケットも含めた)作品全体の統一 性などの観点から、ECMが制作した『ザ・サヴァイヴァーズ・スィート(邦題:残氓( ざんぼう))』が最高傑作なのではないかとぼくは思う。ピアニストとしてのキースの最 高傑作ではないかもしれないが、それ以外のキースの才能、例えばコンポーザー、アレン ジャー、音楽監督といった面は、この作品がもっとも優れているとぼくは考えるのだ。C Dでは2つのトラックになっているが、アナログ・レコードでは片面に1曲というスケー ル感の大きな作品であり、通して聴くにはそれなりの集中力を必要とする音楽である。こ のような音楽は、昨今のような音楽がネットで買える時代にはそぐわないのかもしれない が、ぼくは断然支持するのである。 アルバムは、キースの演奏するベース・リコーダーの音で始る。まるで古代都市の世界遺 産を紹介するような番組で流れるようなサウンドだ。ベースが重低音を奏ではじめるとキ ースはソプラノ・サックスに持ち替え、レッドマンのテナー・サックスと一緒に最初の主 題を奏でる。ここまでの展開で、音楽がただならぬ気配を漂わせていることがひしひしと 伝わってくる。いつの間にかキースはピアノに移って、再びレッドマンのテナー・サック スと一緒に主題を奏でる。ヘイデンがソロをとるバックでは、キースは今度はチェレスタ に移り、重厚なヘイデンの音を愛らしいサウンドで彩る。キースが様々な楽器を演奏する ことによって、4人の演奏にもかかわらず、音楽が物凄く多彩な表情を見せるのだ。そし て最初のクライマックスは、最後の主題の後のキースのソロだ。エモーショナルな「ティ ット、ティロ、ティ」という珠玉のフレーズの連発。ここがたまらないのである。 アナログB面にあたる2トラック目は、攻撃的な主題とフリーな展開で始る。5分を過ぎ たあたりからボサノヴァのようなリズムとなり、キースのピアノ・ソロとなる。ここから が後半のクライマックスだ。キースにしか弾けない、珠玉のフレーズの連続攻撃である。 この部分が聴きたくて、頭からとおして聴くのだ。このキースの音楽にどっぷりとつかる 集中した時間が、快感に変わるのである。キースがここで創り上げた音楽は、民族音楽、 フォーク、クラシック、スピリチュアル、ボサノヴァ、フラメンコ、ジャズなど様々な要 素を感じる音楽だが、かといってどのジャンルに属すわけでもない。アメリカン・カルテ ットだからこそ表現できた、キースの音楽なのである。そしてその音楽は、LPレコード の片面30分弱という時間の中で真摯に音楽と向き合うことで、はじめて全貌を現す類の音 楽だとぼくは思っているのである。そのような音楽がなくならないで欲しいと思うのだ。