●驚きと感動の『ビッチェズ・ブリュー』

みなさんは、音楽を聴くことで驚きを感じたことはあるだろうか。音楽というものは基本
的には個人の楽しみのために聴くものなので、そこから驚きを感じるということはあまり
ないのかも知れない。しかし音楽のなかには、ときには個人の楽しみを超えた驚きを与え
てくれるものがある。そしてその驚きは、やがて大きな感動となって心に迫ってくるので
ある。それは、スポーツ選手の神がかり的なプレーが私達に驚きを与え、その驚くべきプ
レーがやがて感動につながっていくことと似ている。音楽も、それと基本的には同じなの
であろう。音楽の中には、ときとして聴きてである私達の想像をはるかに超えた驚きをも
たらしてくれるものがあり、それがやがてとてつもなく大きな感動につながっていく作品
が存在するのである。マイルス・デイヴィスの1969年の作品『ビッチェズ・ブリュー』は
、ぼくにそのような驚きと感動を与えてくれた作品なのである。

『ビッチェズ・ブリュー』は、もの凄い作品だ。いまだに聴くたびに驚きがある。でもそ
の驚きというものは、何かをしながらCDを聴くといった聴き方では決してわからない類
のものだ。それほどこの音楽は、聴きてである私達に集中力を要求する。難しい音楽では
ないのだが、かといって誰にでも簡単にわかる類の音楽でもない。なにしろCDのディス
ク1に収録された2曲は、アナログLP時代だと片面1曲づつなのだ。ディスク2の4曲
(ボーナスの《フェイオ》は、とりあえず無視して聴かなければならない)だって片面2
曲ずつだ。それだけの時間、この音楽を集中して聴くことによって、はじめてマイルスが
狙ったであろう音楽的な感動が訪れるのである。音楽を使い捨てにするように聴いている
人には、決してわからないだろう。要するに音楽と聴き手との間の密度の問題なのだが、
こ難しい音楽というわけではないので、集中して聴けば一発でわかるはずである。

ぼくの場合は、まず1曲目の《ファラオズ・ダンス》におけるエレピ・サウンドと、それ
まで聴いていたジャズの4ビートとは全く異なる狂騒的なビートに痺れた。まだフュージ
ョンやワールド・ミュージックなどという言葉が、日本で一般化する前の話だ。緊張感溢
れるエレピに始り、次第に狂騒的なリズムのグルーヴが高まっていき、それが一番盛り上
がったところでマイルスがトドメのような必殺のフレーズを放つ。まあ言ってみれば、こ
れだけのシンプルな曲だ。難しい音楽ではないというのは、このようなシンプルさの部分
を言っているのであるが、このシンプルなカッコよさに気がつくには傾聴することが必要
なのである。傾聴することによって、音楽的な緊張が熱狂に変わり、バンドのグルーヴに
のせたマイルスが空間に向けて放つフレーズのカッコよさに気がつくのである。そしてそ
の感動は、音楽のグルーヴの中に身と精神を委ねてみたときに倍増するのだ。

その感動がタマラナイ形で訪れるのは、なんといっても《サンクチュアリー》だ。サック
スのウェイン・ショーターがマイルスに提供した曲の中でも、《ネフェルティティ》と1
、2を争う傑作だ。基本的には2回メロディが繰り返されるだけの演奏なのだが、緊張→
グルーヴ→熱狂→爆発→余韻と、このアルバムの全てがつまっているといっても過言では
ないと思う。このような音楽を演奏できるグループが、昔も今も、ジャズでもロックでも
、他にいるだろうか。マイルス自身でさえ、この曲を最初に吹き込んだときは、いまひと
つピンとこない演奏であった。しかし、この『ビッチェズ・ブリュー』におけるヴァージ
ョンは、言葉にすることが難しいくらい素場らしい。とにかくマイルスがハイノート(高
い音)で吹くクライマックスと、そのバックで光りを空中に解き放つかのようなチック・
コリアのエレピとジャック・ディジョネットのドラムスに注目である。

”マイルス・デイヴィスってジャズでしょ”というイメージだけで、このアルバムを聴い
ていない人がいるとすれば、実に勿体無いことをしていると思う。だいたい1969年のマイ
ルスといったら、ジミ・ヘンドリックス、スライ&ザ・ファミリー・ストーンと並ぶ、ヒ
ップな黒人ミュージシャンだったのである。このアルバムがツイン・ドラムスに加え2人
のパーカッション奏者を入れているのだって、おそらくはサンタナあたりの影響かも知れ
ない(ジミ・ヘンドリックスもこの時期、パーカッション奏者を2人加えてウッドストッ
クのステージを飾っているのは偶然か)。時代のヒーローの一人であったマイルスが創っ
た音楽は、37年という時空を超えて未だに驚きと感動を与えてくれるのだ。これって、相
当凄いことではないか。そして再生装置のヴォリュームを大音量にして『ビッチェズ・ブ
リュー』を真摯に浴びれば、その驚きと感動は必ず伝わってくるはずだ。


『 Bitches Brew 』( Miles Davis )
cover

Disk1
1.Pharaoh's Dance, 2.Bitches Brew

Disk2
1.Spanish Key, 2.John McLaughlin
3.Miles Runs The Voodoo Down, 4.Sanctuary

+ Bonus Track

5.Feio

MILES DAVIS(tp except Disk2-2),
WAYNE SHORTER(ss except Disk2-2), BENNIE MAUPIN(b-cl except Disk2-4), 
JOHN McLAUGHIN(elg), CHICK COREA(elp), JACK DeJOHNETTE(ds), 
JUMA SANTOS(per), LENNY WHITE(ds except Disk2-3,4), HARVEY BROOKS(elb), 
DAVE HOLLAND(b), DON ALIAS(conga,ds on Disk2-3),
JOE ZAWINUL(elp on Disk1-1,2,Disk2-1),
LARRY YOUNG(elp on Disk1-1, Disk2-1)

Produced : Teo Macero
Recorded : Aug 19-21, 1969
Label    : CBS
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