ぼくが洋楽(この呼び方も死語に近くなりましたね)に興味を持ち始めたのは、まだ10代 の前半だった1970年代のことです。そのころはミュージシャンのヴィデオ・クリップを、 現在のようにテレビで簡単に観ることができる時代ではありませんでした。そのころの洋 楽の情報源といえば、テレビではなく主に雑誌とラジオです。ロック系の洋楽を扱う雑誌 では、「ミュージック・ライフ」という雑誌がダントツの情報量でした。その雑誌「ミュ ージック・ライフ」は、当時ラジオでコマーシャルを流していました。そのラジオ・コマ ーシャルこそ、ぼくと《ロング・トール・サリー》という曲の出会いです。コマーシャル が「ロック!」と叫ぶと、たたみかけるように「ゴナ・テェ・アン・マリィ」と凄まじい 歌が流れるのです。その熱狂的なヴォーカルは、洋楽を知り始めたばかりのぼくにとって 衝撃的なものでした。 のちにビートルズを聴き始めて、自分が「ミュージック・ライフ」のコマーシャルで聴い ていた曲が《ロング・トール・サリー》という曲であり、ビートルズのヴァージョンであ ったと知りました。実はこの曲におけるポールのシャウトこそ、ぼくはNo.1のロックンロ ールのヴォーカルだと思っているのです。そしてポールの《ロング・トール・サリー》に おけるパフォーマンスは、唯一オリジナルのリチャードのヴァージョンに匹敵するもので あるとも言えます。ポールはリチャードのモノマネが得意だったと言われていまが、おそ らくやる以上はモノマネではなくオリジナルを超えてやろうくらの意気込みでレコーディ ングに臨んだことでしょう。ビートルズによる《ロング・トール・サリー》のパフォーマ ンスからは、ポールをはじめとするビートルズの4人の”自分達こそがNo.1”というよう な並々ならぬ自信と意気込みが伝わってきます。 では、オリジナルのリチャードのヴァージョンはどうなのでしょうか。オリジナル・ヴァ ージョンも、8年後にレコーディングされるビートルズのヴァージョンに負けず劣らずエ キサイティングなパフォーマンスです。まず注目すべきはリズムです。この曲でドラムを 叩いているのは、セッション・ドラマーのアール・パーマーという人です。パーマーは、 初期のR&Bからフランク・シナトラの録音までこなす名ドラマーで、ファッツ・ドミノ の《ファット・マン》や、エディ・コクランの《サマー・タイム・ブルース》など数多く のロックンロール・クラシックでもドラムを叩いています。パーマーは、リチャードとの セッションは、生涯で最もエキサイティングなセッションであったという言葉を残してい ます。その言葉どおり、《ロング・トール・サリー》におけるパーマーのドラムは、この 曲の印象を強烈にするために一役も二役もかっている素場らしい演奏です。 同時代的に体験することは無理なことはわかっていますが、いきなりリチャードの《ロン グ・トール・サリー》がラジオから流れてきたとき、1956年当時の人々はどのように感じ たのでしょうか。まだ”ロック”が存在していなかった当時のヒット・チャートといえば 、《「黄金の腕」のテーマ》や《「三文オペラ」のテーマ》などのユッタリとしたテンポ の曲が競作ヒットしていました。このような時代に、いきなりリチャードの騒々しい声で 「ゴナ・テェ・アン・マリィ」とラジオから流れてきたら、当時の人々は、ぼくがポール のヴォーカルに衝撃をうけた以上の衝撃を感じたのではないかと想像してしまいます。と にかくリチャードのヴォーカルもパーマーのドラムスも、曲のアタマから終わりまでクラ イマックスがずっと持続しているような感じなのです。《ロング・トール・サリー》が、 そのような強烈さを内包しているのは、実はちゃんとした理由があったのです。 ドゥ・ワップのフラミンゴスの《アイル・ビー・ホーム》と、リチャードの《トゥッティ ・フルッティ》をカップリングした白人アイドルのパット・ブーンのシングルは、リチャ ードの《トゥッティ・フルッティ》よりもチャートで良い成績をあげていました。リチャ ードと彼のプロデューサーのバンプス・ブラックウェルは、これが面白いはずはありませ ん。「次の曲は誰にも歌えないくらいに強烈にしたれ」という勢いが、《ロング・トール ・サリー》のパフォーマンスを強烈なものにしていったと言われています。結局はブーン も《ロング・トール・サリー》をカヴァーしますが、いくらブーンが頑張っても、リチャ ードの迫力には及びません。歌詞の意味も、ブーンとリチャードでは全く違って聴こえる から不思議です。どちらがロックンロールを感じさせるのかは、言うまでもありません。 リチャードの《ロング・トール・サリー》こそ、最も強烈なロックンロールです。