『ヒズ・マジェスティ・キング・ファンク』というアルバムがある。”偉大なるファンク の王様”とでもいうべき凄いタイトルのこのアルバムは、ギタリストのグラント・グリー ンの1965年の作品である。グラント・グリーンというと、ジャズの名門レーベルのブルー ノートに作品が多いことから、単なるジャズ・ギタリストと思っている人が多いかも知れ ない。しかし単なるジャズ・ギタリストには、このアルバム・タイトルのような冠がつく はずもない。看板に偽りがないことは、グリーンのギターを聴けば一発でわかる。ジャズ の世界だけではなく、この際あらゆるジャンルのギタリストを入れたとしても、グリーン ほどソウルフルでファンキーなギターを弾く人はいないのである。だいたいぼくは、チマ チマしたジャズ・ギターが好きではないのだ。グリーンをひたすら愛するのは、このチマ チマしたところがないからなのである。ブッといのだ。キング・ファンクなのである。 さてそのキング・ファンクの『ヒズ・マジェスティ・キング・ファンク』だが、ヴァーヴ というレーベルで録音されたものだ。リーダ作としては、グリーン唯一のヴァーヴでの録 音である。プロデューサーは、既に同レーベルでスタン・ゲッツの『ゲッツ/ジルベルト 』やジミー・スミスの『ザ・キャット』などのヒットを飛ばしていたクリード・テイラー だ。テイラーが、ギタリストのリーダ作を制作するのはグリーンが初めてではなかった。 ケニー・バレルがギル・エヴァンスと組んだ『ギター・フォームズ』や、ウェス・モンゴ メリーの『バンピン』(『ヒズ・マジェスティ・キング・ファンク』の数日前の録音だ) などが既に制作されていた。テイラーは、自らのプロデュースする第三のギタリストとし てグリーンに白羽の矢を立てたのだろう。ジミー・スミスと同様に、テイラーがブルーノ ート時代からグリーンに着目していたのは不思議なことではない。 しかしヴァーヴにおけるテイラーのプロデュースしたグリーンの作品は、『ヒズ・マジェ スティ・キング・ファンク』のみとなった。なぜなのだろうか。テイラーはほどなく自ら のレーベルCTIを興すが、CTIにおいてテイラーがアルバム制作を続けたのは、グリ ーンではなくウェス・モンゴメリーでありジョージ・ベンソンであった。テイラーがCT Iで目指した音楽は、よくも悪くも”クリード・テイラー”の音楽である。ウェスによる パーシ・スレッジのカヴァー《男が女を愛するとき》や、ジョージ・ベンソンのよるウィ ルソン・ピケットのカヴァー《ダンス天国》などソウルフルな楽曲のカヴァーはあるが、 ソウルフルでファンキーというよりも上品で優美なのだ。ヴァーヴとグリーンの契約がど のようなものであったのかは知る由もないが、当時のグリーンがやっていた音楽とテイラ ーの目指した優美な音楽の指向性は異なっていたと考えられる。 それでは『ヒズ・マジェスティ・キング・ファンク』は、つまらないアルバムなのか。グ リーンに限ってそんなことはない。このアルバムでも、ギンギンである。オープニングの 《ザ・セルマ・マーチ》で、テーマ合奏が終わったあとに飛び出すグリーンの凄さ。キャ ンディドの演奏するコンガによってラテン・フレーヴァー漂うブーガルー・ビートにのせ て、グリーンが快調に歌いまくる。これはもうジャズという狭い枠にとどめておくのはも ったいない音楽である。そのサウンドは、ポール・バターフィールド・ブルース・バンド など、R&Bを基調とした60年代のバンドと共通するフィーリングがある。クラブなどで 眼前でライヴ演奏されたら、身体が勝手に動き出してしまうような、いてもたってもいら れなくなる類のホットな音楽だ。グリーンのギター・サウンドも、適度な歪み具合がたま らない。 さらにラストの《ダディ・グレープス》における、グリーンの攻撃の凄さ。”これでもか 、ここか、ここか、こっちか”という感じでひたすら攻めまくる。オルガンのラリー・ヤ ングも負けてはいない。この後ジミヘンや電化マイルスと共演を果たし、トニー・ウィリ アムスやジョン・マクラフリンと共にライフタイムで大爆発するだけのことはある。グリ ーンには、この《ダディ・グレープス》ようなワン・コードで盛り上がっていく形式が最 もあっている。収録時間の制限がなければ、どこまでも攻撃が続く感じがたまらない。逆 に言うとこのようなホットな部分は、クリード・テイラーの目指した音楽のスタイルでは なかった。テイラーも、ミュージシャンの最も良い部分を殺してまで、グリーンをレコー ディングする気はなかったのではないか。その後二人の音楽人生はもう一度クロスするが 、この時点では交差した二人の音楽スタイルに、ぼくは感慨深いものを覚えるのである。