1956年のアメリカの年間ヒット・チャートを見ると、いよいよロックンロールとエルヴィ ス・プレスリーの時代が到来したことがわかります。その幕開けとなった曲が、今回紹介 する《ハートブレイク・ホテル》です。リリースは、1956年の1月。3ヶ月をかけてチャ ートを上りつめ、同年の4月に全米No.1を獲得しました。プレスリーのデビューは、1954 年にサン・レコードという地元にあった小さなレコード会社からでした。プレスリーは、 サンで5枚のシングルを発表しますが、1955年7月にレコーディングを行った《ミステリ ー・トレイン》を最後にサンを離れます。そして同年の11月に、”最も多額の契約金を提 示した”といわれているRCAと契約を結びます。RCAは、まずは原盤権を獲得したサ ン時代のエルヴィスのシングルを再発します。そして満を持しての移籍後第一弾シングル となったのが、この《ハートブレイク・ホテル》という曲なのです。 プレスリーがこの曲をリリースしてから、今年(2006年)でちょうど50年となります。50 年後のいまになって考えてみると、なぜRCAはこの曲を第一弾シングルとしたのだろう という疑問がわいてきます。当時のアメリカのヒットチャートをみてみると、ロックンロ ールは既に誕生していたとはいえまだまだ主流ではありません。流行っている曲といえば 、ブロードウェイで大ヒットした舞台「三文オペラ」の曲《モリタート》のような、明る いのどかな曲が主流でした。しかしプレスリーの《ハートブレイク・ホテル》は、もの凄 くブルージーなムードを持っている曲です。有名なエピソードですが、この曲の歌詞は新 聞にのっていた自殺者の遺書に書いてあった言葉にインスパイアされたものだそうです。 いつも陽気で、オーヴァー・アクションで話すアメリカの白人の間で人気になるようなタ イプの曲には思えません。 RCAと契約を結ぶ前にアメリカ中をツァーで回っていたプレスリーには、もっとアップ テンポで熱狂的な曲や、マイナーではなくメジャー調のレパートリーだってあったはずで す。事実そのようなタイプの曲は、ファースト・アルバムに収録されています。それでも 第一弾シングルには、スロウでマイナー調なこの曲が選ばれました。その答えは2つある ような気がします。その一つは、他人のカヴァー曲ではないオリジナルへのこだわりがあ ったのではないかということです。プレスリーとの契約獲得には、レイ・チャールズをは じめとする数々のR&B歌手を抱えていたアトランティック・レコードも名乗りをあげて いたということから、当時のプレスリーは既に業界が注目せざるをえない存在になってい たということがわかります。つまりヒットが期待できる存在であり、ヒットから得られる 印税収入をも期待していたのではないかということです。 しかしこのことだけでは、なぜ《ハートブレイク・ホテル》だったのかという答えにはな らないような気がします。印税収入を期待するには、オリジナルであれば極端な話なんで も良いからです。もう一つの答えは、曲そのものの中にあると思います。陰鬱な歌詞を吹 き飛ばすような、「ウェ、シンスマァイ、ベイヴィ、レフミー」と歌うオープニングのプ レスリーの歌唱。それに続く、”ジャジャン!”という、ゴージャスなオーケストラによ るものではない、ガレージ・バンドのようなブレイク音。そしてビル・ブラックのジャジ ーなベース音と一緒に歌われる「ハァイル、メケソ、ロンリー、ベイヴェ」という、プレ スリーのモノマネをする人がみな真似をする、ハ行が全ての単語についているような独特 の歌いまわし。当時の明るいのどかなヒット曲には全くないこれらの要素こそが、この曲 を第一弾シングルにした(これしかないと考えた)一番の要因のように感じます。 その衝撃力というのは、プレスリーという存在をなんらかの形で知ってしまっている現在 となっては、もうわかりにくくなっているのでしょう。しかし明るいのどかなヒルビリー や、ゆったりとした映画のテーマ曲が普段は流れている50年前のラジオ番組からいきなり この曲が流れてきたら、当時聴いていた人はどのように感じたのでしょうか。おそらくは 、そうとう(ある意味で暴力的)なインパクトがあったのではないかと想像します。現実 にその当時の人が抱いた”感触”を知りたい人は、ビートルズの「アンソロジー」を読む と良いでしょう。ジョン、ポール、ジョージの3人が、その衝撃を語ってくれています。 衝撃力という意味では、プレスリーの歌の中ではナンバー・ワンではないでしょうか。そ してその衝撃は、この曲とともに全米に波及していくことになるのです。ジョンが「全て 最高」といった、ファースト・アルバムのボーナス・トラックでどうぞ。