ジャズに限らず日本人の演奏するブラック・ミュージックは、ネチっこさが足りないなど とよく言われる。ソウル・ミュージックのライヴ盤などで”これでもか”とばかりに繰り 返されるコール&レスポンスなどを聴いていると、確かに持って生まれた文化の違いを痛 感せざるを得ない。わかりやすい例で言うと(見てない人にはわからないが)、映画「ウ ッドストック」におけるスライ&ザ・ファミリー・ストーン。観客を煽りに煽って、「ハ イアー」と叫ばせるスライの姿は、日本人ミュージシャンには決して真似することはでき ないであろう。そのしつこいくらいの繰り返しはもって生まれたものとしか言いようがな く、”そうせずにはいられない”といった類のものだからだ。ぼくのフェヴァリット・ギ タリストのグラント・グリーンの『グランツ・ファースト・スタンド』も、そんな黒々と したネチっこいフィーリングいっぱいのアルバムである。 このアルバムは、ジャズの名門レーベルのブルーノートにおける、グリーンの初リーダー 作である。アルト・サックス奏者のルー・ドナルドソンに見出されてニューヨークに出て きたというグリーンは、ブルーノートと縁のあったドナルドソンによってライオンに紹介 されたらしい。ミュージシャンの意見をとても尊重していたと言われているライオンは、 さっそくグリーンのセッションを試みている(1960年11月)。バックを努めたのは、マイ ルス・デイヴィス・バンドのリズム・セクションだったウィントン・ケリー、ポール・チ ェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズであった。この事実から、ニューヨークに出 てきたグリーンのお試しセッションではなく、新人に出来る限りのチャンスを与えるブル ーノートらしい本気のレコーディング・セッションであったことはおそらく間違いない。 しかしライオンは、そのセッションをお蔵入りにする。 現在はその最初のセッションも『ファースト・セッション』としてCD化されているが、 なぜライオンは『ファースト・セッション』をお蔵入りにしたのか。『ファースト・セッ ション』の収録曲を見ると、ニューヨークにきたばかりのグリーンの実力を様々なスタイ ルの曲で聴き手に提示しようという意図が見受けられる。スロウなブルース、R&Bナン バー、《ジャスト・フレンズ》のようなスタンダードや、グリーンのフェヴァリット・ミ ュージシャンであったチャーリー・パーカーのレパートリーなど、様々なタイプの曲がレ コーディングされている。さらに面白いことに、《グランツ・ファースト・スタンド》と いう曲もレコーディングされているのだ。グリーンが演奏するこれらの曲を聴いたライオ ンは、次のように思ったのではないか。「このギタリストは、独自のスタイルを持ってい る。どのようなタイプの曲も、黒々としたフィーリングで弾ききってしまう。」 そのようなライオンが抱いた印象が、その後のグリーンに対するプロデュース・スタイル を決定づけたように思うのである。つまり、いろいろなタイプの曲を弾かせて器用さをア ピールするという手法ではなく、一つのスタイルやカラーでアルバムをまとめるという手 法である。その後のグリーンのアルバムというと、ジャズのギター・トリオ、ニグロ・ス ピリチュアル、カントリー、ボサノヴァなど、アルバム全体が一つのスタイルやカラーで 貫かれているものが多い。そのような意味でいうと、最初に発表されたリーダー作となっ た『グランツ・ファースト・スタンド』は、ブルース・スタイルのアルバムである。アッ プ・テンポ、マイナー、ゴスペル調など、様々なスタイルのブルース(ほとんどがオリジ ナル)が収録されている。おそらくライオンは、グリーン達の好きにやらせたのではない か。アルバムに収録された曲からは、そのような勢いとリラックス感が伝わってくる。 アルバム1曲目の《ミス・アンズ・テンポ》から、ネチっとしたブラック・フィーリング あふれるフレーズが全開だ。この曲は、ライヴ・ギグのラストにやるようなアップ・テン ポのブルース・ナンバーである。グリーンのギターも、”ベイビー・フェイス”ウィレッ トのオルガンも快調にとばす。黒々としたフィーリングをもった音楽のほうをより好んだ と言われているライオンは、ウィレットのソロが終わって4分20秒をすぎたあたりから 繰り出されるグリーンの繰り返しフレーズがたまらなかったのではないか。そのグリーン のフレーズの黒々とした繰り返しには、思わず”そこまでやるのかい!”とツッコミを入 れたくなる。4曲目のウィレット作のマイナー・ブルースのグリーンからは、マイルス・ デイヴィスの影響も感じる。60年代後半のファンク化する前のグリーンのアルバムでは、 ブラック・フィーリングに溢れたこのアルバムが一番の傑作だとぼくは思うのである。