ロックン・ロールの萌芽となった1955年が終わって1956年になると、また一人強烈なオリ ジネーターが登場してきます。その人物の名前は、ジェームス・ブラウンです。「えっ、 ジェームス・ブラウンがロック?ソウル・ミュージックの人じゃないの?」と思われる人 もいるかもしれません。確かにジェームス・ブラウンは、”ザ・ゴッドファーザー・オブ ・ソウル”として知られているとおり、いわゆるソウル・ミュージックの人です。それが 間違っていないということは、ここできちんと明言しておきましょう。しかし「ロックへ の旅」の中でブラウンの音楽を聴いてみると、いままでブラウンの音楽に対して持ってい たソウル・ミュージックの人といったイメージとは異なる点もみえてくるのです。今回は ブラウンのデビュー曲《プリーズ・プリーズ・プリーズ》を聴きながら、そのあたりのこ とを考えてみたいと思います。 みなさんが《プリーズ・プリーズ・プリーズ》を聴いたら、どのような印象を持たれるの でしょうか。《パパズ・ゴット・ア・ブランド・ニュー・バッグ(邦題:パパのニュー・ バッグ》、《アイ・フィール・グッド》、《セックス・マシーン》など、ジェームス・ブ ラウン・サウンドが確立されたあとのファンキーなヒット曲のイメージが強い人は、《プ リーズ・プリーズ・プリーズ》はいま一つピンとこない曲なのではないでしょうか。ビデ オやDVDでブラウンのステージを観たことがある人は、有名なマント・ショーが行われ るショーのクロージング・テーマとして憶えているかもしれません。”チャチャチャ、チ ャチャチャ”という3連符のピアノとドゥ・ワップ風のバック・コーラス。このあまりに シンプルなサウンドの《プリーズ・プリーズ・プリーズ》に、頭に描いていたブラウンの イメージとは異なる印象をもたれる方がほとんどなのではないかと思います。 このような印象も当然で、後年のブラウンのようなソウル・ミュージックは、まだ世の中 に存在していませんでした。ブラウンもデビューの時点では、ロックン・ロールのルーツ となったR&Bの線上にいたわけです。ブラウンの自叙伝を読むと、オリジナル曲がなか った当時のブラウンのバンドは、ビリー・ワード&ザ・ドミノス、ザ・クローヴァーズ、 ザ・ファイヴ・キーズ、ザ・オリオールズ、ザ・ファイヴ・ロイヤルズといった50年代の R&Bグループのヒット曲をレパートリーにしていたのだといいます。これらのグループ のヒット曲に共通するのは、ゴスペルの影響が顕著なコーラスと熱のこもったヴォーカル です。《プリーズ・プリーズ・プリーズ》は、あきらかにこれらのヒット曲の延長線上に あります。先の自叙伝でも、「オリオールズの《ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー》の コーラスから触発されて書いた」ということをブラウン自身が語っています。 ブラウンは、これらのグループのオリジナル・ヴァージョンに似せて歌うのが得意だった そうです。つまりは”歌まね”。このことは”ジェームス・ブラウンは本質的に芸人であ る”という自説を裏付けることになりますが、ブラウンが単なる歌まね王者にならずに” ザ・ゴッドファーザー・オブ・ソウル”と呼ばれるまでになっていくオリジナルな要素が 《プリーズ・プリーズ・プリーズ》には既にあるのです。ブラウンは、それまでカヴァー してきたR&Bヒットよりもさらに熱狂的なフィーリングをヴォーカルに加えています。 執拗に繰り返される”プリーズ”という言葉は、ライヴで練り上げられていったといわれ るこの曲の完成までの過程を想像させるとともに、子供時代のブラウンが「音楽以上に好 きだった」という白熱した教会での説教を思わせます。ブラウンは、この子供時代に見聞 きした説教の感覚を、明らかにヴォーカルに取り入れています。 もう一つ《プリーズ・プリーズ・プリーズ》から感じるのは、主にピアノによるコードの ”ブルージーではない”モダンな感覚です。ブラウンが好きだった音楽は、ゴスペルだけ ではなくフランク・シナトラやビング・クロスビーだったそうですが、《プリーズ・プリ ーズ・プリーズ》のコード進行からはそのようなポピュラー・ソングに似たフィーリング を感じます。この曲に聴くことのできる単なる”歌まね”に終わらない優れた感覚や要素 (それは同時に芸人として、人を自分の虜にさせる工夫でもある)が、ブラウンが今日ま で現役であり続けられる理由でしょう。このような《プリーズ・プリーズ・プリーズ》の 優れた感覚や要素に気がつくのは同時代のR&Bと続けて聴いたときであり、それによっ てブラウンが創造するファンキーなソウル・ミュージックが、本質的にはロックン・ロー ルと同じルーツから始って伸びていった枝葉の一つであることがわかるのです。