70年代のディランのアルバムで僕が最も気に入っているアルバムは、『ブラッド・オン・ ザ・トラックス(邦題:血の轍)』だ。ディランが、デビュー当時のレコード会社のCB Sから一度離れて、アサイラムから2枚のアルバムを発表した後に、またCBSへ復帰し たときの第一弾となったアルバムである。《タングルド・アップ・イン・ブルー(邦題: ブルーにこんがらがって)》や《ユー・アー・ビッグ・ガール・ナウ(きみは大きな存在 )》といった、ディランの創った珠玉の名曲がたっぷり入っている。僕の場合、なぜだか わからないが少し落ち着いた秋の季節になると聴きたくなる。夏の暑い季節には、まず手 が伸びないから不思議だ。全ての収録曲が、アコースティック・ギターを主体に演奏され ているからだろうか。今年の秋も例によって取り出して聴いているわけだが、改めてこの アルバムの魅力を考えてみたくなった。 このアルバムが録音された1974年のディランは、”ツァー74”と呼ばれるザ・バンドとの 大掛かりな北米ツァーで始った(ツァーの模様は、アサイラムから『ビフォー・ザ・フラ ッド(邦題:偉大なる復活)』として発表された)。60年代にエレクトリックを取り入れ たばかりのザ・バンド(当時はザ・ホークス)とのツァーと異なり、ロック・スターとし てのディランは観衆から大感激で迎えられたという。会場から会場への移動は自家用ジェ ット機が使用されたという大掛かりなツァーに伴い、ツァー中でのディランの女性関係も 派手になっていったらしい。ツァー中の女性関係に起因するディラン態度が、当時の妻の サラとの間に緊張関係を生んでいった(後に離婚)。またザ・バンドとのツァーが終わっ た74年の春に出会ったノーマン・レーベンという老画家が、ディランのものの見方に影響 を与える。このことも、サラとの喰い違いの要因となったといわれている。 そのような緊張関係もあってか、ディランは74年の夏からミネアポリスの農場で単独で過 ごしていたそうである。ディランの弟一家が隣に住んでいたというので正確には単独とは いえないが、親族の近くで一人で過ごす日々が、この夏の間に創られたという『ブラッド ・オン・ザ・トラックス』の収録曲に影響を与えたのは間違いがないと思われる。このア ルバムに収められた曲の多くが男女関係のことを歌っている(サラとの関係を歌ったもの だと言われている)が、おそらくは、もっと客観的で普遍的な観点から男女関係を歌った もののような気がする。でも、そのような分析めいたことは、このアルバムの音楽を聴く うえでは本当はどうでも良い。アルバムの背景として「ふーん、そうだったのかぁー」と 思う程度のことであり、音楽を聴くうえでは別に知らなくてもよいことである。別に上記 のような背景を知らなくても、このアルバムの音楽は十分に魅力があるはずだ。 このアルバムに収録された各曲のディランのヴォーカルとサウンドには、コントロールさ れた詩情と、エモーショナルな感情が同居している。ディランの他のアルバムからは感じ ることのできないその絶妙なバランス感覚が、僕にとっての一番の魅力だ。このアルバム の収録曲は9月のニューヨーク録音の曲と、12月のミネアポリス録音の曲で構成されてい るが、詩情溢れるのはニューヨーク録音の曲だ。殆どがディランとベースのトニー・ブラ ウンによるシンプルな演奏で、静かにコントロールされたディランの歌声が心にしみいっ てくるようである。とくに2曲目の名曲《シンプル・ツィスト・オブ・フェイト(邦題: 運命のひとひねり)》と最終曲の《バケッツ・オブ・レイン(邦題:雨のバケツ)》は、 いつ聴いても心の奥にふかーく沁みてくるのである。曲の表情も、まるで印象派の描いた 絵画のように美しい。絵を隅々までみるように、ずーと聴いていたくなるのである。 ミネアポリス録音は《タングルド・アップ・イン・ブルー》、《ユー・アー・ビッグ・ガ ール・ナウ》、《イディオット・ウィンド(邦題:愚かな風)》、《イフ・ユー・シー・ ハー・セイ・ハロー(邦題:彼女にあったら、よろしくと)》の4曲が秀逸である。木漏 れ日のきらめく光のようなアコースティックなサウンドが素晴らしい。これらの曲のニュ ーヨーク録音版もブートレッグ・シリーズなどで公式発売されたが、それを聴くとディラ ンが録り直したくなった気持ちもわかる。ニューヨーク版は詩情溢れる良いヴァージョン だが、ディランはよりエモーショナルな歌い方をしたかったのではないか。アルバムに収 録されたミネアポリス録音版は、演奏とヴォーカルの間に相互作用が起こり、魅力的なグ ルーヴが生まれているのである。エモーショナルなグルーヴ感溢れる曲と、詩情溢れる曲 の絶妙なバランスが、このアルバムの魅力的なカラーを作り出しているのであろう。