●詩情とエモーショナルな表情が同居するディランの傑作

70年代のディランのアルバムで僕が最も気に入っているアルバムは、『ブラッド・オン・
ザ・トラックス(邦題:血の轍)』だ。ディランが、デビュー当時のレコード会社のCB
Sから一度離れて、アサイラムから2枚のアルバムを発表した後に、またCBSへ復帰し
たときの第一弾となったアルバムである。《タングルド・アップ・イン・ブルー(邦題:
ブルーにこんがらがって)》や《ユー・アー・ビッグ・ガール・ナウ(きみは大きな存在
)》といった、ディランの創った珠玉の名曲がたっぷり入っている。僕の場合、なぜだか
わからないが少し落ち着いた秋の季節になると聴きたくなる。夏の暑い季節には、まず手
が伸びないから不思議だ。全ての収録曲が、アコースティック・ギターを主体に演奏され
ているからだろうか。今年の秋も例によって取り出して聴いているわけだが、改めてこの
アルバムの魅力を考えてみたくなった。

このアルバムが録音された1974年のディランは、”ツァー74”と呼ばれるザ・バンドとの
大掛かりな北米ツァーで始った(ツァーの模様は、アサイラムから『ビフォー・ザ・フラ
ッド(邦題:偉大なる復活)』として発表された)。60年代にエレクトリックを取り入れ
たばかりのザ・バンド(当時はザ・ホークス)とのツァーと異なり、ロック・スターとし
てのディランは観衆から大感激で迎えられたという。会場から会場への移動は自家用ジェ
ット機が使用されたという大掛かりなツァーに伴い、ツァー中でのディランの女性関係も
派手になっていったらしい。ツァー中の女性関係に起因するディラン態度が、当時の妻の
サラとの間に緊張関係を生んでいった(後に離婚)。またザ・バンドとのツァーが終わっ
た74年の春に出会ったノーマン・レーベンという老画家が、ディランのものの見方に影響
を与える。このことも、サラとの喰い違いの要因となったといわれている。

そのような緊張関係もあってか、ディランは74年の夏からミネアポリスの農場で単独で過
ごしていたそうである。ディランの弟一家が隣に住んでいたというので正確には単独とは
いえないが、親族の近くで一人で過ごす日々が、この夏の間に創られたという『ブラッド
・オン・ザ・トラックス』の収録曲に影響を与えたのは間違いがないと思われる。このア
ルバムに収められた曲の多くが男女関係のことを歌っている(サラとの関係を歌ったもの
だと言われている)が、おそらくは、もっと客観的で普遍的な観点から男女関係を歌った
もののような気がする。でも、そのような分析めいたことは、このアルバムの音楽を聴く
うえでは本当はどうでも良い。アルバムの背景として「ふーん、そうだったのかぁー」と
思う程度のことであり、音楽を聴くうえでは別に知らなくてもよいことである。別に上記
のような背景を知らなくても、このアルバムの音楽は十分に魅力があるはずだ。

このアルバムに収録された各曲のディランのヴォーカルとサウンドには、コントロールさ
れた詩情と、エモーショナルな感情が同居している。ディランの他のアルバムからは感じ
ることのできないその絶妙なバランス感覚が、僕にとっての一番の魅力だ。このアルバム
の収録曲は9月のニューヨーク録音の曲と、12月のミネアポリス録音の曲で構成されてい
るが、詩情溢れるのはニューヨーク録音の曲だ。殆どがディランとベースのトニー・ブラ
ウンによるシンプルな演奏で、静かにコントロールされたディランの歌声が心にしみいっ
てくるようである。とくに2曲目の名曲《シンプル・ツィスト・オブ・フェイト(邦題:
運命のひとひねり)》と最終曲の《バケッツ・オブ・レイン(邦題:雨のバケツ)》は、
いつ聴いても心の奥にふかーく沁みてくるのである。曲の表情も、まるで印象派の描いた
絵画のように美しい。絵を隅々までみるように、ずーと聴いていたくなるのである。

ミネアポリス録音は《タングルド・アップ・イン・ブルー》、《ユー・アー・ビッグ・ガ
ール・ナウ》、《イディオット・ウィンド(邦題:愚かな風)》、《イフ・ユー・シー・
ハー・セイ・ハロー(邦題:彼女にあったら、よろしくと)》の4曲が秀逸である。木漏
れ日のきらめく光のようなアコースティックなサウンドが素晴らしい。これらの曲のニュ
ーヨーク録音版もブートレッグ・シリーズなどで公式発売されたが、それを聴くとディラ
ンが録り直したくなった気持ちもわかる。ニューヨーク版は詩情溢れる良いヴァージョン
だが、ディランはよりエモーショナルな歌い方をしたかったのではないか。アルバムに収
録されたミネアポリス録音版は、演奏とヴォーカルの間に相互作用が起こり、魅力的なグ
ルーヴが生まれているのである。エモーショナルなグルーヴ感溢れる曲と、詩情溢れる曲
の絶妙なバランスが、このアルバムの魅力的なカラーを作り出しているのであろう。

『 Blood on the Tracks 』 ( Bob Dylan )
cover

1.Tangled Up in Blue, 2.Simple Twist of Fate, 3.You're a Big Girl Now
4.Idiot Wind, 5.You're Gonna Make Me Lonesome When You Go
6.Meet Me in the Morning, 7.Lily, Rosemary and the Jack of Hearts
8.If You See Her, Say Hello, 9.Shelter from the Storm, 10.Buckets of Rain

BOB DYLAN(vo,g,hca), 
TONY BROWN(elb), ERIC WEISSBERG(g,elg),PAUL GRIFFIN(org), 
BUDDY CAGE(steel-g), BILLY PETERSON(elb), BILL BERG(ds), 
PETER OSTROSHUCO(mandollin)

Recorded : September 16-25, 1974 NYC, December 27-30, 1974 Mineapolice
Label    : CBS
  
※上記のイメージをクリックすると、Amazonにて購入できます