プログレッシヴ・ロックと呼ばれた音楽があることを、最近の若い音楽ファンは知ってい るのだろうか。若い音楽ファンだけではなく、年季の入った音楽ファンでも一部の熱狂的 なファンを除いて忘れてしまっている人が多いのではないだろうか。ダンスビートやヒッ プホップのリズムにのった消費されるばかりの音楽が鳴り響いている街中にいると、つい つい”プログレ”の存在を忘れがちになってしまう。しかし”プログレ”と呼ばれた音楽 のいくつかは、いまだにその魅力を失ってはいなのである。”有名なグループをいくかあ げてみよう。キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、エマーソン、レイク&パーマー、 ジェネシスなど、いくつもの魅力的なグループがあった。へヴィー・メタルの元祖的に語 られることの多いディープ・パープルだって、初期のころは”プログレ”っぽい音楽をや っていたこともあったのだ。そして忘れてはならないのがイエスである。 イエス結成は1968年と意外に古いが、なんといっても最高なのは1972年のイエスである。 ライン・アップはヴォーカルのジョン・アンダーソン、ベースのクリス・スクワィア、ギ ターのスティーヴ・ハウ、ドラムスのビル・ブルフォード、そしてキーボードのリック・ ウェイクマンの5人だ。イエスは、”プログレ”バンドとしては珍しく、シングル・ヒッ トの多いバンドである。80年代のMTV時代になっても、《ロンリー・ハート》という大 ヒットを飛ばしている。しかし《ロンリー・ハート》当時のイエスと、1972年のイエスは メンバーが一部重複しているだけの、同じ名前を持つ全く別のバンドといって良い。もし 《ロンリー・ハート》でしかイエスを知らない人が1972年のイエスを聴いても、全く異な る音楽だと感じるであろう。しかし、僕が最高だと思っているのは全米No.1ヒットの《ロ ンリー・ハート》を飛ばしたイエスではなく、1972年のイエスなのである。 その1972年にリリースされたイエスの最高傑作、いやプログレッシヴ・ロックと呼ばれた 全ての音楽の最高傑作と言い切ってしまえるくらいに凄いのが『クローズ・トゥ・ジ・エ ッジ(邦題:危機)』である。これぞ”プログレ”!、凄いぞ、イエス。いま聴いても、 本当によくできた物凄い音楽だ。下記で紹介しているのはボーナス・トラック付きの最新 リマスター盤だが、オリジナル(もちろんレコード)は3曲である。A面全てを占めてい た表題曲《クローズ・トゥ・ジ・エッジ》、B面は2曲《アンド・ユー・アンド・アイ( 邦題:同志)》と《シベリアン・カートゥル》だ。なかでも組曲になっている《クローズ ・トゥ・ジ・エッジ》と《アンド・ユー・アンド・アイ》の凄さは言葉にならない。現在 の全てのジャンルのバンドを見渡してみても、これだけグルーヴ感に溢れ、音楽性の高い 、高度で複雑な音楽をやっているバンドは皆無である。 《クローズ・トゥ・ジ・エッジ》は水のせせらぎや小鳥の声によるフェード・インで始ま るが、すぐに複雑なリフを持つ6/8拍子のロック演奏”ザ・ソリッド・オブ・チェンジ ”と題された緊張感溢れるパートに移る。ザ・フーのジョン・エントゥイッスルに影響を 受けたクリス・スクワィアのぶっといベースがかっこいい。”アー”というコーラスも、 ここぞという絶妙のタイミングで現れる。そして3拍子の部分のスティーヴ・ハウの素晴 らしいリフに続いて”トータル・マス・リテイン”がジョンの艶やかな声で歌われる。そ してジョンのヴォーカルが天高く上がっていくように広がっていくと、リック・ウェイク マンの弾く素晴らしいチャーチ・オルガンが、これでもかというくらいに荘厳に鳴り響く のだ。うーん、たまらない。”プログレ”の醍醐味を味わえる瞬間だ。そして再び緊張感 溢れるロック演奏で曲は見事に締めくくられる。息もつかせぬ18分なのである。 そしてもう1つの組曲《アンド・ユー・アンド・アイ》。ECM風のスティーヴのアコー スティック・ギターで始まるが、”ターーーラ、ターララーラ”となる合奏の部分がなん ともカッコイイのである。NHKで放映されたイエスの「ヤング・ミュージック・ショー 」では、この曲をライヴで完全再現していた。なんて壮大なフレーズ、これまた”プログ レ”の醍醐味を十分に味わえる瞬間だ。もう1曲の《シベリアン・カートゥル》もロック っぽい素晴らしい演奏なのだが、先の2曲に存在している”プログレ”の醍醐味部分がな いのでちょっと落ちる。しかしそれでもこのアルバムは、驚くべきことに無駄な音が一音 もないのである。こんな凄い音楽が、かつてはあったのだ。じっくり集中して音楽を聴く 時代ではないのかもしれないが、『クローズ・トゥ・ジ・エッジ』はぜひ腰をすえて聴い てほしい。”プログレ”という枝葉に伸びたロックの最高到達点が聴けるはずである。