”ソニー・ロリンズの”、いや”モダン・ジャズの”と言い換えても良いくらいにジャズ の世界で超有名なアルバムが、『サキソフォン・コロッサス』というアルバムだ。おそら くジャズのアルバムを紹介している本で載ってないものはないというくらい有名なアルバ ムである。あまりに有名なので、コアなジャズ・ファンの中には「いまさら恥ずかしくて 買えない」という人もいたらしい。現在はインターネットで自宅にいながらにして欲しい CDが買える時代なので、そのようなことはさすがに無いだろうと想像する。しかし、レ コードやCDをお店で買うしかなかった時代には、”ジャズ・マニアとしてのプライドが 許さない”とか”いまさら恥ずかしい”という理由で、このアルバムを聴いた事が無いジ ャズ・ファンが本当にいたのだろう。つまりこのアルバムは、そのような伝説が生まれる くらい、このアルバムはジャズという世界の中では有名なアルバムなのである。 僕自身は、ジャズを聴き始めた中学生のころに購入した(まだレコードの時代だ)。確か 、植草甚一がこのアルバムのことについて書いたエッセイを読んで購入した憶えがある。 そのエッセイの中で、大橋巨泉がこのアルバムを日夜聴いていたという話が書いてあった ように記憶している。とどのつまりは、大橋巨泉がジャズ評論家としても活躍していた時 代(1960年代初頭)から、このアルバムは名盤としての評価が定着しているのである。そ の大きな理由が、このアルバムに入っている《モリタート》という曲であろう。この曲で のロリンズのサックス・プレイが、大橋巨泉をして”いいねぇー”と毎日聴くような理由 となっていたと推測する。しかし僕が《モリタート》でのロリンズのプレイをどう感じた かというと、「この時代(1956年)では、この若さ(ロリンズ25歳)で、これだけ吹ける 人はいなかっただろうなぁ」くらいにしか思わなかったのである。 70年代にいろいろなサックス・プレイ(とくにコルトレーンの激烈なプレイ)を経由して 同時進行的にジャズの名盤を聴き漁っていた僕にとって、《モリタート》の演奏は刺激が なくゆったりとしすぎており、あまり魅力を感じるものではなかった。本当のことを言う と、その印象は現在でもあまり変わらない。《モリタート》というのは、クルト・ワイル という人が1928年に書いた「三文オペラ」の中の曲で、別名《マック・ザ・ナイフ》と呼 ばれている。「三文オペラ」は1952年にアメリカに紹介され、1954年からブロードウェイ で上演された。そしてロリンズがこの曲を吹き込んだ1956年には、アメリカで競作ヒット 曲となっていたのである。なんとディック・ハイマン(8位)、リチャード・ヘイマン& ジャン・オーガスト(11位)、ビリー・ヴォーン(37位)、レス・ポール(49位)、ロー レンス・ウェルク(17位)、そしてルイ・アームストロング(20位)による競作である。 上記のチャート(いずれもビルボード)が端的に示しているように、ロリンズが吹き込ん だ《モリタート》という曲は、1956年のアメリカで大流行していた曲だったわけだ。この アルバムに入っているもう一つのロリンズの人気曲《セント・トーマス》にしても、50年 代半ばから流行り始めたカリプソの雰囲気を取り入れた曲である。カリプソもこの後に大 きな流行となり、ハリー・ベラフォンテが”デェー、オ!”の掛け声で有名な《バナナ・ ボート》の大ヒットを飛ばしている。つまりこのアルバムには、当時のアメリカで流行っ ていたクルトワイルの「三文オペラ」の曲とカリプソが同居しているのである。このこと から、『サキソフォン・コロッサス』というアルバムは、プロデューサーがより大きな売 れ線を狙って制作したアルバムという可能性も捨てきれない。だが流行を取り入れたこと でジャズとして聴きやすくなり、その人気を発売時から支えているとも考える。 しかし、このアルバムはやはり第1級の名盤である。驚異の25歳のサックス奏者ロリンズ のメロディを基に展開させていくソロも聴きどころであるが、なんといっても凄いのは、 ドラマーのマックス・ローチのプレイだ。それが明確にわかるのが、ロリンズの作ったカ リプソ・ナンバー《セント・トーマス》である。ずばり《セント・トーマス》こそ、この アルバムの傑作ナンバーであり最大の聴きどころだ。この曲におけるローチのドラム・ソ ロは、テーマ・メロディをベースにしていることが初めてこの曲を聴く人にもわかると思 う。つまりは、ロリンズのソロと同じ手法である。曲の構成を決定づけているのも、音楽 的な教養があったローチのリズムだ。ロリンズのソロのバックでの”煽り”も凄い。『サ キソフォン・コロッサス』というアルバムは、ロリンズとローチの応酬を聴くアルバムで あり、それによって名盤となりえたと考えるのである。