前週はギタリストのグラント・グリーンについて書いた。グリーンについて書いたら、オ ルガン奏者のジョン・パットンの名前も出さないわけにはいかない。グリーンとパットン は、ぼくにとってはビル・エヴァンスとジム・ホール、いやいやジョー・パスとオスカー ・ピーターソン、いやいやパット・メセニーとライル・メイズ、いやいやそれを遥かに超 えた存在なのである。1961年のデビューからブルーノート・レコードの看板ギタリストと でもいうべき存在だったグラント・グリーンは、1965年にいったん同レーベルから離れる のであるが、ジョン・パットンのレコーディングを通じてブルーノートとの関係は続いて いた。今回ジョン・パットンのアルバムを紹介するのは、1969年に『キャリーン・オン』 でブルーノートに復帰してからのグリーンも凄いのだが、60年代半ばのジョン・パットン のアルバムにおけるグリーンも強烈だからである。 紹介するのは、1966年のアルバム『ガッタ・グッド・シング・ゴーイン』だ。まずはアル バム冒頭を飾る《ザ・ヨーデル》を聴こう。このグリーンの燃焼度が凄い。いきなりの、 ”つかみはOK(古い!)”である。ヨーデルというのはカントリー歌手が使用するウラ 声を使った歌唱方法で、スイスから伝わったものだと言われている。コマーシャルなどで スイスが写るときによく流れる、”ヨロロイ、ヨロロイ”とか”ヨロロイ・ホー”とかい うやつだ。40年代のアメリカでは、白人ブルース歌手のジミー・ロジャーズ(ジョージ・ ハリスンが子供の頃に、ロジャーズの《ブルー・ヨーデル・No.9》をよく聴いたと語って いた)やカントリーのハンク・ウィリアムスなどでポピュラーだったそうだ。この”ヨロ ロイ、ヨロロイ”を、ニュー・オリンズ風のマーチング・リズムに乗せて、グリーンがフ ァンキーにブチかますのである。 プロデューサーは、”ミスター・ブルーノート”のアルフレッド・ライオンだ。ブルーノ ートのアルバムは、セールス上の観点から売れそうな曲を1曲目にもってくることも多か った。このアルバムのセッションでも、マーヴィン・ゲイの《エイント・ザット・ペキュ リアー》や、サム・クックの作品でオーティス・レディングでも有名な《シェイク》など のR&Bヒットもレコーディングしている。それらの曲を1曲目にもってきてもよかった のだろうが、おそらくライオンはあまりに凄いグリーンのプレイに驚嘆して《ザ・ヨーデ ル》を1曲目に持ってきたのだ。ドラムスのヒュー・ウォーカーとコンガのリチャード・ ランドラムのプッシュも凄い。グリーンのソロの途中で執拗に繰り返される、”ヨロロイ 、ヨロロイ”を模したようなフレーズに驚嘆してほしい。グリーンの後に続くパットンも 絶好調である。とにかく演奏全体の疾走感覚と燃焼度が凄いのだ。 続くパットンとグリーンが共作した《ソウル・ウーマン》のグリーンも、コーラスの直前 からいきなり飛び出してきて好調ぶりが伺える。このアルバムのレコーディング時のグリ ーンは、きっと調子が良かったに違いない。このレコーディング・メンバーのうちパーカ ッションのリチャード・ランドラムを除く3人は、この当時サックスのハロルド・ヴィッ クを入れたカルテットでニュー・ヨークのハード・コアなジャズを聴かすクラヴに連続出 演していたらしい。オルガン中心のジャズというのは、ハード・コアなジャズ・ファンに は通常あまり受けが良くないのだが、このときのパットン/グリーンのグループは大好評 だったのだという。このアルバムは、いつものクラヴ・ギグのノリをそのままスタジオに 持ち込んだような演奏の一体感である。この頃のパットン/グリーンのグループは、おそ らく毎日こんな凄い演奏をしていたのだろう。 ちなみに《ザ・ヨーデル》、《ソウル・ウーマン》、《エイント・ザット・ペキュリアー 》の3曲は、同じ時期にレコーディングされたと思われるグラッセラ・オリファントとい うドラマーの『ザ・グラス・イズ・グリーナー』というアルバムでもパットンとグリーン が参加して演奏されている。プロデュースは、ノラ・ジョーンズの大ヒット盤を制作した アリフ・マーディン。同じ時期の同じ曲の演奏なのに、演奏の燃焼度合いは『ガッタ・グ ッド・シング・ゴーイン』の足元にも及ばない。そのようなところにも、当時のパットン /グリーンのレギュラー・グループの勢いを感じる。アレッ、肝心のパットンのことを、 殆ど何も書いていないではないか。でも、良いのである。一番言いたかったことは、グラ ント・グリーンのもの凄い演奏を聴くには、60年代半ばのブルーノートにおけるジョン・ パットンのリーダ作も聴かなければならないということなのだ。