オーネット・コールマンという、ジャズの紹介本を見れば必ず載っているアルト・サック ス奏者がいる。なぜ載っているのかというと、ジャズの多様なスタイルや全体像を紹介す る本の場合は、オーネットの音楽は避けてとおることがおそらくはできないからだ。しか し、納得のいくような紹介をしてくれているものはほぼ皆無といってよい。ひどいのにな ると、”ダメ”の一言で切り捨ててしまっているものもある。しかし、オーネットの音楽 に肯定的な姿勢をみせている人でも、ことオーネットの音楽となるとスパッと竹を割った ような明解な説明は殆ど見受けられない。「確かにそのような面はあるが、それだけでは ないんだよなー」と思わせるものが、オーネットの音楽にはあるのだ。じゃあぼくが説明 できるのかというと、情けない話だが、自分がオーネットの音楽を聴いてわかっているこ としか説明できないのである。オーネットの音楽には、どこか謎めいた部分があるのだ。 ヘンな話、”謎があると感じる”ことこそが、オーネットの音楽の秘密をとくカギのよう にも思える。つまり、「わからない部分がある」ので「また聴いてみたくなる」のではな いかということだ。ぼく自身、オーネットを聴き続けてきた動機の一つがまさにそうだし 、オーネットがニューヨーク・デビューしたときの伝説的な賛否両論の嵐も、”音楽がわ からない”ことに起因しているのではなかったかと思うのである。むしろ話題として取り 上げられやすいように、オーネットが意図的に仕組んだのではとも考えられなくもないの だ。ジャズのメッカであるニューヨークに来たオーネットは、ニューヨークの地で音楽で 生きていくために”フツーのジャズ”ではなく”頭で考えた自分の音楽”を創り上げたの ではないか。なぜなら、オーネットの音楽は自然発生的なものではなく、明らかに事前に 構成が組み立てられ、その制約に基づいて各メンバーがプレイしているからである。 オーネットの音楽を聴くと感じるのは、オーネットの意志である。”人がやっていること とは違ったやり方でやるゾ”という意志だ。オーネットの代表的なアルバム『ザ・シェイ プ・オブ・ジャズ・ニュー・カム(邦題:ジャズ来るべきもの)』でそれを検証してみよ う。おそらく全ての収録曲から、オーネットの意志を感じとれるのではないか。オーネッ トがアルバムのレコーディングにあたって考えたのは、まずは曲の構成、そして大切にし たものは曲のフィーリングと調和であろう。これらが揃って、はじめてオーネットの音楽 となるのである。ジョン・コルトレーンが、このアルバムの《フォーカス・オン・サニテ ィ》を演奏しているが、面白いことに、いつものコルトレーンの演奏になってしまってい る。おそらくコルトレーンはオーネットの音楽の秘密を探りたかったのであろうが、オー ネットの”やり方”がわからずに、おそらく曲(素材)として演奏してしまったのだ。 もうひとつオーネットの音楽から確実に聴き取れるのが、チャーリー・パーカーからの影 響だ。最終曲の《クロノロジー》は、タイトルも含めてモロにそれが出ている。2曲目の 《イヴェンチュアリー》も、ビバップの構成をもとに”調性を無くして、テンポを物凄く 早くしてやってみよう”という意志が働いているような曲だ。この時代の少なくともジャ ズの世界にいたサックス奏者でパーカーの影響を受けなかった人というのは皆無といって 良いと思うが、オーネットの音楽はパーカーの音楽抜きには語れないであろう。曲によっ ては、ハード・バップよりも、よりビバップに近いところにある音楽というように思う。 オーネットは、きっと擦り切れるほどパーカーを聴いたのではないか。オーネットのフレ ージングや音色からも、パーカーの濃厚な影響が漂ってくるのである。ビバップを軸とし て、調性や構成を考えた結果生まれたのが、オーネットの音楽といえるのかもしれない。 最後に、《ロンリー・ウーマン》である。この曲の素晴らしいメロディが持っているフィ ーリングは、ブルージーでスピリチュアルなものだ。オーネットのグループは、このブル ージーな本質を持つ曲を、見事にアグレッシヴな形で処理している。曲のサビ(というの か何というのか)でメロディが上昇していくところがあるが、爆発するような演奏がタマ ラナイ。オーネットの代表的な作品であり、かつ代表的な演奏だ。しかしテンポを落とし てクワイア隊に歌わせたら、また違った魅力が出てきそうなメロディである。《ロンリー ・ウーマン》は、まぐれもなくオーネットの中にある、ブルースやニグロ・スピリチュア ルのDNAを垣間見せてくれるのだ。構成力、チャーリー・パーカー、ブルースやニグロ ・スピリチュアルの3点が、ぼくが確実に言うことのできる初期のオーネットの音楽をと くカギだ。それでもなお、オーネットの音楽への謎は尽きない。誰か、続きを解明して。