もしウェスト・コースト・ミュージックの傑作アルバムを1枚あげよと言われたら、みな さんは何を思い浮かべるだろうか。ビーチ・ボーイズ。ブライアン・ウィルソンの音楽は 、ウェスト・コースト・ミュージックという枠に収めるにはカヴァーする範囲が広すぎる 気がする。CSN&Yはどうか。音楽はカッコイイが、ウェスト・コースト・ミュージッ クというには厭世的すぎる。明るいのはグラハム・ナッシュだけではないか。ジャクソン ・ブラウンやイーグルスはどうだろう。ウェスト・コースト・ミュージックっぽくなって きたがちょっと暗いゾ。それにイーグルスは、『ホテル・カリフォルニア』のイメージが 強すぎる。もっとウェスト・コーストならではの風が吹いてくるようなアルバムでなくて はいけない。そうすると、これしかないでしょう。1976年のリンダ・ロンシュタットのア ルバム『ハースン・ダウン・ザ・ウィンド(邦題:風にさらわれた恋)』である。 このアルバムは、本当に素晴らしいのだ。楽曲の良さ、ミュージシャンの演奏などからジ ャケット・デザインに至るまで、ほぼパーフェクトなアルバムだ。なにより、主役である リンダの堂々とした歌いっぷりが素晴らしい。バディ・ホリーのロックンロールのカヴァ ー《ザットル・ビー・ザ・デイ》から、ウィリー・ネルソンの曲をジャジーに歌った《ク レイジー》まで見事なできである。この時代のリンダは、オリビア・ニュートン・ジョン と共に、洋楽のカワイコちゃん歌手といったイメージで見られていた。海の向こうでも事 情は違わなかったのか、なにかのテニス大会で、リンダとオリビアが互いにダブルスを組 んで一緒にテニスをしている記事を見た記憶がある。洋楽ファンのあいだでも、”オリビ ア派”、”リンダ派”みたいなのがあったほどだ。何を隠そう、ぼくは”オリビア派”だ ったのだが、このアルバムのリンダはぼくをノックアウトしたのである。 冒頭を飾る《ルーズ・アゲイン(邦題:またひとりぼっち)》の素晴らしさ。この1曲で ノックアウトだった。ぼくは、この曲こそウェスト・コースト・ミュージックを代表する 1曲だと思うのである。カントリーでもない、ロックでもない、単なるバラードでもない 、AORまでくどくない。ウェスト・コースト・ミュージックとしかいいようがない”サ ウンド”。そして、ヴォーカルのリンダの素晴らしさ。この曲を創ったカーラ・ボノフも 自らしっとりと歌っているが、このアルバムにおけるリンダのヴァージョンには残念なが らおよばないと思う。ピアノから静かにはじまり、次第にリズムが入ってくる。そして盛 り上がったところで、ダン・ダグモアが見事なギター・ソロを聴かせる。その後に続く、 リンダの歌う感情のこもったコーラスのリフレインは、初めて聴いたときから何年たって も色褪せることはない。典型的な名曲・名演である。 考えてみればリンダは1946年生まれなので、このアルバムの発売当時は既に30歳になろう としていたわけだ。1946年というと、1歳年上にはエリック・クラプトン、ピート・タウ ンゼントといった人達がいる。リンダがこれらの60年代のロック・ヒーロー達と殆ど同い 年だったというのは、ぼくにとっては意外だった。もっともリンダのような音楽をやって いた人には、60年代には活躍する場はなかったと言える。ウッドストックでラヴ&ピース が終焉を迎えたあとに、みなが無意識に求めた安らぎの世界のようなものがウェスト・コ ースト・ミュージックの隆盛に繋がっていったのかも知れない。リンダもデビューしたの は60年代の終わりであるが、《ハート・ライク・ア・ホィール(邦題:悪いあなた)》で 全米1位となったのは1973年のことだ。それだけに、遅咲きではあるが、このアルバムで は”単なるカワイコちゃん歌手”ではない見事な歌を聴かせてくれるのだ。 このアルバムを聴いていると、歌に対するリンダの自信が伝わってくる。実際にうまい。 特にアナログ時代のB面は、先のジャジーでセクシーな《クレイジー》の他に、レゲエを 取り入れた《リヴァーズ・オブ・バビロン》やゴスペル風の《ダウン・ソー・ロウ》など 、多彩なスタイルの曲を歌いこなしている。またリンダの歌の魅力を最大限に引き出した 、ピーター・アッシャーのプロデュースも見事だ。いきなり決定打の《ルーズ・アゲイン 》からタイトル曲の《ハースン・ダウン・ザ・ウィンド》まで、アナログ・レコード時代 のA面は実に気持ちの良い流れなのである。耳を傾けていると、なんともゆったりとくつ ろいだ気持ちになれるのだ。静かな夜に、何も言わずにそっと恋人が寄り添っていてくれ るような感じなのである。タマラナイでしょ。聴いてみたくなるでしょ。ウェスト・コー スト・ミュージックの最高傑作は、最も愛しい恋人のようでもあるのだ。