エリック・クラプトン。最近は矢継ぎばやにアルバムを出したり、SMAPが歌う愛知万 博のテーマソングなんかを書いたりしている。いつの頃からか、すっかり面白みの欠ける ミュージシャンになってしまった。ギターを弾く人にとっては、相変わらず注目に値する ミュージシャンなのかな。僕が好きなのは、70年代のエリックだ。アルバムで言うと、『 レイラ』から『ノー・リーズン・トゥ・クライ』あたりまで。ギター・プレイがどーのこ ーのというよりも、オシャレでナイーヴで、飲んだくれながら仲間と一緒に好きな音楽を 奏でているような”あの雰囲気”が良かったのだ。当時のエリックの音楽を指して、”レ イドバック”という言葉が盛んに使われた。しかし僕にとっての当時のエリックの音楽は グルーヴ感溢れる音楽だ。”レイドバック”なんてゆったりとした印象は無い。何より、 この時代のエリックの音楽は、演奏する楽しさに満ち溢れているのである。 とりわけ『レイラ』は素晴らしい。傑作になるべくしてなったアルバムだ。なぜなのか。 エリックは、本質的に主役になるタイプのミュージシャンではない。人のバックにまわっ たときに、キラリと光る(最近の表現だと”さすがに渋い”といったところか)ギターを 弾くタイプである。エリックは、そのような自分の本質を最初はよくわからずに、音楽の 世界に飛び込んだのだろう。クリームの成功で、エリックは一躍”ギターの神様”にまつ りあげられるが、成功とともにもたらされた”名声”に苦悩することになる。おそらくこ こで初めて、エリックは自分の本質に気がついた。「いちギタリストに徹したい」、その ような思いが続くブラインド・フェイスでスティーヴィー・ウィンウッドが大きくフィー チャーされた理由だろう。しかしブラインド・フェイスは、そのようなエリックの思いと は裏腹に”スーパー・グループ”の看板を背負うことになるのである。 この頃のエリックは、「自分の名前が出る限り、いちギタリストに徹することはできない 」と考えていたに違いない。そんな折に参加したデラニー&ボニーとのツァーで、初めて エリックは、一人のギタリストとして音楽を楽しむことができたようだ。デラニーはエリ ックに「人を楽しませる音楽をやるには、まず自分が楽しまなければならない」と伝えた のだという。”ギターの神様”と言われることに嫌気がさしていたエリックにとって、眼 からウロコが落ちる言葉だったに違いない。そしてそこには、後に”ドミノス”のメンバ ーとなるキーボードのボビー・ウィットロック、ベースのカール・レイドル、ドラムスの ジム・ゴードンがいた。このメンバーは、同じく”いちギタリスト”としてデラニー&ボ ニーのツァーに参加していたジョージ・ハリスンのレコーディングに参加する。ジョージ のビートルズ解散後の初のソロ・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』だ。 おそらくデレク&ザ・ドミノスは、『オール・シングス〜』のセッションで結成された。 アルバム後半で繰り広げられる”アップル・ジャム”は、ドミノスのメンバーにデイヴ・ メンソン(デラニー&ボニー&フレンズのツァーに参加していた)が加わった編成で演奏 されている。ドミノスが”エリック・クラプトン&フレンズ”としてライヴ・デビューを 飾ったのも、『オール・シングス〜』のセッションの真最中の1970年6月のことだ。そし てこの時代のジョージとの深い関わりは、エリックの心に一つの変化をもたらす。よく知 られる、パティ・ハリソン(この時代のジョージ婦人で、後にエリックと結婚)との恋愛 である。定説どおり、パティへの恋愛感情によって『レイラ』を構成する各曲が生まれた のは間違いないだろう。とりわけ、エリックがこれ以上ないくらい切ない声で歌う《ベル ・ボトム・ブルース》は堪らない。やはり恋愛は創造性に大きくするのかな。 しかし冒頭に書いたように『レイラ』の真の魅力は、演奏される音楽のグルーヴ感による ものだ。客演しているデュアン・オールマンの圧倒的なプレイがエリックを本気にさせ、 アルバムの各曲を”名演”のレベルに押し上げたのだ。ジミヘンのカヴァー《リトル・ウ ィング》の”どーにも止まらない”ような感じ、《ホワイ・ダズ・ラヴ・ゴット・トゥ・ ビー・ソー・サッド》の疾走感溢れるところなどは最高である。そして表題曲《レイラ》 でのデュアンのスライド・ギター・ソロと、それをバックアップするドミノスの演奏の素 晴らしいこと。エリックだろうか、思わず演奏中に声を発している。パティとの関連で語 られることの多い『レイラ』だが、聴きどころは、何もかも(おそらくパティのことも) 忘れて一人のミュージシャンとして心底から演奏を楽しむエリックと、音楽に身を任せた ドミノス&デュアン・オールマンの奏でるグルーヴ感溢れる見事なロックなのである。