ロックに興味をもった人がその歴史を辿る時、必ず出会うのがビル・ヘイリーではないで しょうか。ロックの歴史について書かれたもの中には、ヘイリーが彼のバンドのコメッツ と共に録音した《ロック・アラウンド・ザ・クロック》を、最初のロックンロール・ソン グとする説があるからです。ヘイリーの歌った《ロック・アラウンド・ザ・クロック》が 、映画「ザ・ブラックボード・ジャングル(邦題:暴力教室)」のテーマ曲として使用さ れ、全米チャートで連続8週間も1位をとったのが1955年の夏。このため、2005年の今年 は、ロック誕生50周年と言われてもいます。ぼくも中学生の頃にビートルズによってロッ クと出会い、やがてビートルズ以前のロックにはどのような人がいたのかということに興 味を持ち始めました。そして、雑誌に掲載されていた写真でヘイリーと出会うことになっ たのです。ロックンロールの元祖といわれるヘイリーの印象は、次のようなものでした。 「カッ、カッコわるい・・・(絶句)」。当時のロック雑誌を飾っていたロック・スター とは、あまりにもかけ離れた風貌。おそらくヘイリーの活躍していた当時でさえ、カッコ いいということは絶対になかったであろうその姿かたちには少しショックを受けました。 前髪は、まるでキューピーちゃんか横山ノック。身体つきは、ロックンローラーというよ りも、アメリカン・フットボールのプレーヤーか、西部劇に出てくる主人公ではない保安 官みたいなイメージでした。実を言うと、いまでもそのイメージに違いはありません。ヘ イリーには悪いけど、お世辞にもカッコいいとはいえない。同じ時期のスターだったエル ヴィスが持っている不良っぽいイメージと違って、「おっさんやないけ」と思ったもので す。ヘイリーの見た目はカッコわるいものでしたが、音楽は別でした。ヘイリーが歌った 《ロック・アラウンド・ザ・クロック》は、間違いなくぼくの心に響いたのです。 《ロック・アラウンド・ザ・クロック》は、R&B(いわゆるブラック・ミュージック) が当時の白人の若者から大きな支持を得ていることに気がついたカントリー歌手のヘイリ ーが、R&Bを取り入れて放った最初のロックンロール・ヒットナンバーといった評価が 定着しているようです。確かにヘイリーと彼のバンドは、《ロック・アラウンド・ザ・ク ロック》のヒット以前からR&Bを取り入れていたようです。しかしそれは、ヘイリーが もともとやっていたウェスターン・スィングと呼ばれる音楽の影響と思われます。ウェス ターン・スィングは、カントリーに様々な音楽の要素を取り入れた音楽です。ヘイリーの バンドにはスティール・ギターが入っていますが、この特殊な楽器もウェスターン・スィ ングの世界ではポピュラーな楽器です。ウェスターン・スィングをやっていたヘイリーに は、当時流行のR&Bを取り入れることは自然なことだったのではないかと思います。 また意外なことに、《ロック・アラウンド・ザ・クロック》はヘイリーがオリジナルでは ありません。ジェームズ・メイヤーというプロデューサー兼プロモーターが創り、ソニー ・ダエ&ヒズ・ナイツというグループが、フィラデルフィアのローカル・チャートで1952 年にヒットさせた曲です。ヘイリーがメジャー・レーベルのデッカと契約した際に、その 口利きをした作者のジェームズ・メイヤー(ジミー・デナイトは彼の別名)がヘイリーに 提供したのだそうです。ヘイリーはジャズの影響が大きいダンス音楽だったウェスターン ・スィングの伝統にのっとり、コメッツと共にこの曲をダンス・パーティに相応しい活き 活きとしたヴァージョンに仕上げました。録音は1954年。最初のリリースは、1955年では なく同年の5月です。発売当初はB面でした。しかし軽快でわかりやすいこの曲はラジオ から次第に火がつき、映画「暴力教室」と共に世界的なヒットとなったのです。 ヘイリーは《ロック・アラウンド・ザ・クロック》がヒットする前に、”ビッグ”・ジョ ー・ターナーの《シェイク、ラトル・アンド・ロール》を殆ど同じアレンジでカヴァーし てヒットさせています。このことはヘイリーがブレイクする素地を作っていたといえる反 面、ヘイリーが最初から大きく若者に受けたわけではないことを物語っています。《ロッ ク・アラウンド・ザ・クロック》の大ヒットは、映画やラジオといったメディアの力によ って、曲そのものが持つ魅力に人々が気がついたからではないでしょうか。ダンス音楽の ブギウギのベース・ラインと同様のメロディ、グレン・ミラーの《イン・ザ・ムード》を 思わせる踊りにもってこいのリズム。この曲には、繰り返し聴きたいと思わせる魅力が確 かにあります。そしてヘイリーにとってこの曲は、自分がやってきた踊りのための音楽で あるウェスターン・スィングの発展形ではなかったのかと思うのです。