●『ヘレン・メリル』を聴き飽きないワケは?

ヘレン・メリルという歌手がいる。日本で”ため息”歌手といえば青江三奈だが、誰がつ
けたのかヘレンは”ニューヨークのため息”と呼ばれている。そのヘレンの傑作アルバム
に、『ヘレン・メリル』というアルバムがある。アレンジャーに”アイノ、コリッダ”や
《ウィー・アー・ザ・ワールド》のクィンシー・ジョーンズを迎え、名トランペッターの
クリフォード・ブラウンと一緒に作ったアルバムだ(このため、『ヘレン・メリル』は「
ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」と呼ばれることが多い)。ヘレンの
代表作といえばこの『ヘレン・メリル』、”この1曲”といえばこのアルバムに収録され
ていた《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》(CMでもよく使用
される曲である)。それ以外をあげる人は、よほどのヘレンのファンかジャズ・マニアで
あろう。

かく言うぼく自身、『ヘレン・メリル』はジャズを聴き始めた頃から愛聴してきたアルバ
ムだ。ぼくがジャズを聴きはじめたのは中学生のとき。時代もいまのように大人と子供の
境が不明確ではなく、もっとハッキリとしていた時代だった。そのような時代の中におい
て、ジャズはまぎれもなく”大人”のものだった。少なくともイメージの上では、ジャズ
はオンナ・コドモが聴くような音楽ではなかったのである。ぼくはロック、クロスオーヴ
ァーから、音楽上の未体験の衝撃を求めてジャズに入っていったが、それ以外にもジャズ
に意識的に”大人”の世界を求めていた。つまりエー・マイナーではなくエー・マイナー
・セブン・フラット・ファイヴを求めると同時に、キラキラとしたミラー・ボールの輝く
フロアーでセクシーな衣装を着た女性歌手が囁くように歌う声のようなものを求めていた
のである。

『ヘレン・メリル』に出会ったのは高校に入ってすぐの頃だったと思うが、そこにはまさ
にジャズに求めていた”大人”の世界があった。少なくとも高校生の頃はそのように感じ
ていた。ハスキーなヘレンのヴォーカルを夜に一人で聴いていると、ゾクゾクっとしたも
のだ。とくに《ホワッツ・ニュー》の「ビッツ」とか「アドミッツ」とか「ロマンス」と
いったヘレンの発音を聴いていると、まるで自分の頭のすぐ後ろからヘレンに歌われてい
るような気持ちだった。しかしエッチなビデオだって1回見れば飽きるように、不純な動
機だけならば、現在までこのアルバムを聴き続けることはなかっただろう。実をいうと、
ぼくはいわゆる”ジャズ・ヴォーカル”を全くに近いくらい聴かないが、ヘレンのこのア
ルバムだけは何年ものあいだ愛聴してきたのである。その理由はなんなのだろう。改めて
考えてみると、やはり飽きさせないような理由がこのアルバムには確かにある。

では、その理由とはなんなのか。まずベタな言い方なのだが、聴いていてわかりやすいア
ルバムだという点である。まずは曲順だ。ぼくが最初に買ったときは《ス・ワンダフル》
と《ドント・エクスプレイン》が入れ替わっていた。ビートルズの『プリーズ・プリーズ
・ミー』が曲順がバラバラになって『ステレオ!これがビートルズだ』というタイトルで
発売されていたように、昔のレコード会社は勝手に曲を入れ替えていたのである。このア
ップ・テンポで楽しい《ス・ワンダフル》が1曲目だと、おのずとアルバムの印象も違っ
てくる。アップ・テンポで始り、マイナー・メロディのアルバムを代表するような《ユー
ド・ビー・ソー・ナイス〜》が続き、クィンシーの編曲が見事なバラード《ホワッツ・ニ
ュー》で落すという曲順。この曲順が、ぼくにアルバムを聴きやすいものにしていたので
ある。

またジャズとしてもわかりやすい。イントロがあって、ヘレンによる歌でメロディがハッ
キリと歌われ、同じコード進行に載せてピアノのジミー・ジョーンズやクリフォードが見
事なソロをとる。しかもそれが、高水準の(ことにクリフォードのトランペットに関して
は第一級の)ものなのだ。この曲構成も、ジャズを聴き始めたばかりのぼくにとって、わ
かりやすいものだった。ついでに言うと、ヘレンの英語の発音もわかりやすかった。この
ような”わかりやすさ”は、言い換えればシンプルさとも捉えることができる。シンプル
ということは、余計なものがないということだ。そこでハタと気がつくのである。このシ
ンプルさ、わかりやすさは、偶然生まれたものではないということを。ヘレンの楽器によ
るソロのような特徴的な歌いまわし、そしてクリフォードの歌心に溢れたトランペット。
これらの要素を、上手くまとめた人物の存在に気がつくのだ。

アレンジャーのクィンシー・ジョーンズ、21歳のときの仕事である。ことにホーン・セク
ションのアレンジは、クリフォードのトランペットとダニー・バンクスのバリトン・サッ
クスだけしか管楽器奏者がいないにもかかわらず、ビッグ・バンドにも劣らないゴージャ
スな雰囲気を出している。ビッグ・バンドではトランペットは最高音、バリトン・サック
スは最低音を出す楽器だが、存在しない中間部を補うためにクィンシーはなんとギターを
上手く使っているのだ。このギターを含んだホーン・セクション(?)を贅沢に使い、歌
はピアノ・トリオとヴォーカルだけとか、クリフォードのソロになるとトランペットのワ
ン・ホーン・カルテットなど、曲のセクションごとに異なるスタイルのジャズを聴くこと
ができるのである。実に見事な曲構成、およびアレンジと言うしかない。21歳のクィンシ
ーは、この仕事の依頼に張り切って頭を使ったに違いない。

つまり『ヘレン・メリル』がわかりやすく聴き飽きないのは、このクィンシーのアレンジ
によるものだと思うのである。例えばこのアルバムのクリフォードのソロは歌心に溢れ、
彼の演奏の代表的なものの一つといえるが、クリフォードのソロだけが素晴らしいのでは
ない。ヘレンの歌にしても同様で、要はヘレンの歌にしてもクリフォードのソロにしても
、”ここぞ”というところで聴いている側の無意識の期待どおりに登場するところが、こ
のアルバムをわかりやすくて聴き飽きないものにしていると思うのである。アルバムにそ
のようなお膳立てをした人物こそクィンシーなのだ。《ユード・ビー・ソー・ナイス〜》
やクリフォードの演奏だけを聴いていては、弱冠21歳のクィンシーの素晴らしい仕事に気
がつかないだろう。クィンシーこそ、このアルバムをヘレンの代表作ばかりかヴォーカル
の名盤たらしめた最大の功労者と言うべきであろう。

ではこのアルバムのベストは何か。《ユード・ビー・ソー・ナイス〜》も確かに名唱だが
、この曲が受けるのはやはり日本人好みのマイナー・メロディとノリ易いテンポ、それに
歌詞の冒頭でタイトルが歌われる”わかりやすさ”によるものだと思う。ぼくはベストと
しては《イエスタデイズ》をあげたい。クリフォードのジャジーなイントロ、ヘレンのホ
ーン・ライクな歌唱、ピアノ・ソロに続くクリフォードの素晴らしい演奏、再びヘレンの
繊細で素晴らしいヴォーカル(フレージングの見事なこと!)。そしてそれらを全てお膳
立てして、一段階上の音楽に押し上げたクィンシー。全員が素晴らしい仕事だ。考えてみ
れば、アルバム制作時はクリフォードもヘレンもみな20代だったのだ。その年齢で、これ
だけの表現力。ぼくが”大人”の世界と思って聴いていた音楽は、実は若者が創意工夫し
て創った音楽だったのだ。その工夫の分だけ、飽きることはないのであろう。
『 Helen Merrill 』 ( Helen Merrill )
cover

1.Don't Explain, 2.You'd Be So Nice to Come Home To
3.What's New?, 4.Falling in Love With Love
5.Yesterdays, 6.Born to Be Blue, 7.'S Wonderful

HELEN MERRILL(vo)

CLIFFORD BROWN(tp), DANNY BANKS(bs,fl), BARRY GALBRAITH(g)
JIMMY JONES(p), OSCAR PETTIFORD(b on 3,4,5), BOB DONALDSON(ds on 3,4,5)
MILTON HINTON(b on 1,2,6,7), OSIE JOHNSON(ds on 1,2,6,7)

QUINCY JONES(arr, cond)

Recorded : December 22,24 1954, NewYork
Producer : Bob Shad
Label    : EmArcy
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