僕には大好きな女性シンガー・ソングライターが3人いる。キャロル・キング、ジョニ・ ミッチェル、そしてローラ・ニーロである。そのローラ・ニーロが、黒人女性3人組のグ ループのラベルと組んで作った傑作アルバムが『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』だ。プロ デューサーは、70年代にフィリー・ソウルの数々の傑作を生み出すギャンブル&ハフ。ア レンジャーには、同じくフィリー・ソウルの立役者となるトム・ベルを迎え、全曲R&B のカヴァーを歌ったアルバムである。”シンガー・ソング・ライター”であるローラが、 自分の曲を1曲も歌わずに全曲カヴァー曲で綴ったこのアルバムは、彼女が少女時代に大 好きだったR&Bへのオマージュなどという表現で語られることが多い。確かにその表現 は、間違ってはいないと思う。しかし僕は、このアルバムの音楽からそれ以上のものを感 じるのだ。 アルバムを聴いてまず思うのが、少女時代に夢中になったR&Bへの単なるオマージュで はないということである。それを証明しているのが、アルバムの2曲目に収録されている 《ベルズ》だ。マーヴィン・ゲイとアンナ・ゴーディ・ゲイの夫婦が作者に名を連ねてい るこの曲は、1970年にオリジナルズがモータウンから放ったヒット曲である。数多いモー タウン・ナンバーとは一味異なる、ソウル・バラッドの傑作だ。ローラがこのアルバムを 制作したのは1971年。つまり《ベルズ》は、ローラの少女時代のヒット曲ではない。オリ ジナルのオリジナルズ(ややこしいな)も素晴らしいのだが、ローラの歌声はオリジナル にはない”切なさ”のようなものを感じさせる。とくにサビの部分の「愛していると言っ て、愛してる?、愛している?」と言って盛り上がっていくところなどを聴くと、完全に ローラ自身の歌になっていると感じるのである。 《ベルズ》だけではない。収録されているカヴァー曲の全てが、”ローラ自身の歌”にな っている。最近よく見かける、単なる企画モノのトリビュートとして他人の曲を他の人が やっているような、中途半端な嘘くささが全くない。アルバムに収録された全てのカヴァ ー曲は、紛れもなくローラ自身の”オリジナルな表現”として歌い演奏されているのであ る。ローラが作った数々のオリジナル曲が、ある意味で彼女自身の子供であるように、こ のアルバムに収録されたカヴァー曲も間違いなくローラの子供なのだ。いや、むしろ、ロ ーラの一部分といったほうが適切かも知れない。ローラという人間のフィルターを通して 再生されたこれらの曲は、ローラ自身が持つオリジナリティを兼ね備えたものとなり、オ リジナル・ヴァージョンとは異なった魅力を放っている。そして音楽からは、本当の愛を 探し求めて懸命に現在を生きている女性の、魂の叫びが聴こえてくるのだ。 なぜなんだろう。それはローラが歩んできた道と、深く関係しているのかも知れない。ロ ーラはイタリア系アメリカ人で、ニューヨークのブロンクスで1947年に生まれた。本名は ローラ・ニグロ(Laura Nigro)である。黒人を指す言葉の”ニグロ(Negro)”とはスペ ルが異なっているが、このことがローラの少女時代に影を落としたというのは考えすぎだ ろうか。クラスメートの白人からも”ブラック・ラヴァー”と呼ばれ差別されていたとい うエルヴィス・プレスリーがR&Bのラジオを聞くことで心の平穏を得たように、少女時 代のローラもまたエルヴィスと同様にブラック・ミュージックに惹かれていったのではな いだろうか。以上のことはもちろん想像でしかないが、ニューヨークという大都会に暮ら している少女時代のローラがR&Bを聴き、あるいは歌っているときだけ心の平穏を得て いたのではないかと考えるのは不自然なことではないと思う。 それゆえアップテンポの楽しげな曲を歌っても、ローラの歌声は決してノスタルジックに はならない。その歌声は、”もっと深い何か”をもって僕の胸を締めつけるのである。例 えばマーサ&ザ・ヴァンデラスがモータウンで放ったヒット曲《ジミー・マック》。「ね え聴こえる!ジミー、早く帰ってきて」と歌うローラの歌声は、少女時代の懐かしい歌を 楽しんで歌っている声ではない。恋することのもどかしさを知った、大人になった一人の 女性であるローラ自身の声として響くのである。そして、その歌声は深い。本当の悲しみ を知っている人だけが持っているようなその歌声。サッチモ、ビリー・ホリデイ、ジャニ ス・ジョップリン、カレン・カーペンターといった人達の歌声と同様に、R&Bを歌うロ ーラの歌声は僕の心の奥底にしみいっていくのだ。そしてその歌声は、少女時代の自分に だけ向けられているのではなく、1971年当時の現在を生きるローラ自身にも向けられてい るのである。 おそらくローラは、少女時代に夢中になったこれらの歌を歌うことで、”大人の女性にな った現在の自分”を再確認したのではないだろうか。純真で無垢だった少女時代と現在の 自分の距離感を、”自分自身の宝物”の中から適切な曲を選んで、「本当の愛を探し求め て現在を生きる女性の姿」としてアルバムに込めたのではないだろうか。おそらくローラ がアルバムに込めたメッセージは「希望」。愛を求めてギリギリのところで懸命に生きて いるような歌声が、同じ様な思いを抱きながら生きている人達に、これまで深い癒しと明 日への活力を与えてきたのだろうと思う。ローラの傑作『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』 は、そんな1枚である。機会があれば、ぜひ聴いてみてほしい。ローラのソウルフルな歌 声は、じわじわと心にしみていって、明日を生きていく希望を与えてくれるに違いない。