”ロック至上主義”な人に、ときどき出会います。ロック以外の音楽は、”ロックではな い”というただそれだけの理由で聞かない、あるいは興味がないという人です。このよう な人は、”このCDは有名なブルース・マン誰々の”とか”この曲はジャズの巨人の誰々 が”などと良いと思っている音楽を紹介しても、全く興味を示さないのです。ブルースは 有名なロック・ミュージシャンが演奏しているのでまだ良いのですが、ジャズの場合はま だまだ”ロック至上主義”の人には受け入れられないことが多いようです。もちろん人そ れぞれの考え方があるので、最近は無理にロック以外の音楽を紹介したりしなくなりまし た。しかし音楽というものは、そのような個々の考え方にピッタリと当てはまってくれる ほど単純なものではありません。実は僕は、ブルースやジャズやロックは全く違う音楽で はなく、もともとはかなり近いところにあった音楽だと思っているのです。 カンザス・シティ・ブルースの巨人で、”ビッグ”・ジョー・ターナーという黒人歌手が いました。名前に”ビッグ”とついているとおり、体型はかなりビッグだったようです。 晩年の写真を見ると、確かに腰周りなどは相撲取りも顔負けといった印象です。この大柄 なブルース歌手のターナーの持ち歌に、注目に値する曲があります。1954年にR&Bチャ ートでヒットした、《シェイク、ラトル・アンド・ロール》という曲です。この曲は《ロ ック・アラウンド・ザ・クロック》で有名なビル・ヘイリーやエルヴィスにカヴァーされ 、現在ではロックンロールの古典の一つとして認識されています。ビートルズも、映画「 レット・イット・ビー」で有名な通称”ゲット・バック・セッション”で取り上げていま す(後に『アンソロジー3』にメドレーで収録)。エルヴィスとビートルズの両方が取り 上げた曲となると、やはり無視して通り過ぎることはできませんよね。 そこでターナーの《シェイク、ラトル・アンド・ロール》を聴いてみましょう。12小節ブ ルースの循環コードを基調に、ジャズのスモール・コンボ風の演奏にのせてターナーが歌 っています。終始目立っているのは、チャラチャラと流れているピアノです。これはロッ クンロールなのでしょうか。確かに、サン・レコードにおけるエルヴィスの初セッション で録音されたロカビリー風の《ザッツ・オール・ライト》などよりも、はるかにロックン ロールではないかとも感じます。しかし聴きようによっては、グレン・ミラー楽団の演奏 する《イン・ザ・ムード》のような陽気なスィング・ジャズに非常に近い演奏にも聴こえ るし、ターナーの地元のカンザス・シティが発生の地といわれる狂騒的なジャンプ・ブル ースのようにも聴こえます。演奏には、何と呼んでよいのか困ってしまうような不思議な フィーリングがあるのです。 僕はこの点にこそ、やがてロックと呼ばれるようになる音楽の秘密があるように思ってい ます。《シェイク、ラトル・アンド・ロール》がヒットする前、ターナーはブギウギ・ピ アノの名手ピート・ジョンストンとパートナーを組んでいました。ブギウギは、1小節を ”ダッダ、ダッダ、ダッダ、ダッダ”というベース・パターンで刻むのが特徴ですが、こ こにもロックンロールのリズムの原型を聴き取ることができます。ロックンロール、スィ ング・ジャズ、ジャンプ・ブルース、ブギウギに共通しているのは、踊りたくなるような フィーリングです。当時の黒人音楽は、ジャズもブルースも全てR&Bと呼ばれていまし た。R&Bは、リズムやフィーリングや演奏スタイルによって”ジャズ”や”ブルース” とも呼ばれたのです。つまり、音楽そのものの根っこは同じなのではないか。少なくとも 1954年当時の人々には、明確な違いはなかったのではないかと僕は思うのです。 《シェイク、ラトル・アンド・ロール》のヒットは1954年。1911年生まれのターナーは、 既に43歳という年齢だったことになります。この曲は確かにR&Bチャートで1位をとっ ていますが、それをロックンロールとして世に広めたのは、ビル・ヘイリーとエルヴィス でしょう。ターナーは、自分のことをロックンローラーとは思ってはいなかったと思いま す。ブギウギ・ピアノのピート・ジョンストン、スライド・ギターの名手エルモア・ジェ ームズ、ジャズのビッグ・バンドの世界で有名なカウント・ベイシー楽団と共演していた ターナーは、自分の歌う歌をブルースやジャズやロックンロールというように区分けはし ていなかったと思うのです。ターナーの《シェイク、ラトル・アンド・ロール》からは、 同じ根っこを持ついろいろな黒人音楽の要素が聴こえてくるのです。”ロック至上主義” な人には、この曲がどう聴こえるのか。一度、尋ねてみたい気がするのです。