●マイルスが誘う音の秘境

先週の土曜日(2月5日)に、東京四谷にあるジャズ喫茶「いーぐる」で素晴らしいイヴェ
ントが開催された。マイルス・デイヴィスが1975年に来日した際に残したライヴ盤『アガ
ルタ』および『パンゲア』の、録音30周年記念特別イヴェントである。イヴェントの主旨
はごく単純。この2枚のライヴ盤を、「いーぐる」の素晴らしいオーディオ・システムで
大音量で聴くというものである。これらのアルバムには、”できる限り大音量で聴いて欲
しい”というようなメッセージがジャケットに載っていた。「いーぐる」のオーディオで
大音量で聴けるなんて、願ったり叶ったりである。そして解説は、ライヴ録音当日の会場
(大阪フェスティバル・ホール)にも足を運んでいたという、日本で一番マイルスに近い
男で”僕の師匠”でもある中山康樹さんだ。あの”アガ・パン”を、「いーぐる」の素晴
らしいサウンド・システムで、大音量で、しかも中山さんの解説付きで聴けるとなれば行
くしかあるまい。僕のように考えた人は大勢いたようで、会場は超満員。大人数でひたす
らマイルスのサウンドを浴びるというのも妙な気がしなくもなかったが、『アガルタ』の
冒頭の音が流れた瞬間、即座に忘我の境地に陥ってしまった。

この『アガルタ』というアルバムを僕が買ったのは、録音から3年後の1978年ごろだった
と思う。ひたすらマイルス者の道を歩んでいた当時の僕のハートに、トドメを打ったアル
バムだ。横尾忠則のデザインしたなんとも摩訶不思議な世界観のジャケット、LPにして
2枚組というヘヴィーなアルバムだったが、すぐにマイルスのバンドが繰り出すサウンド
にやられてしまった。余談になるが、僕が最初に買った2枚組のレコードでは、2枚目の
レコード・レーベルがA面とB面が逆になっていた。《ジャック・ジョンソン》を聴こう
とすると、《インタールード》(実態は、《イフェ》と《フォー・デイヴ》という曲)が
流れるのである。いまだに、このレコード会社の凡ミスによくひっかかってしまう(CD時
代になっても直っていないようだ、Amazonを見よ!)。そのような欠点を持ったアルバム
だったが、どれほど繰り返し聴いたかわからない。もの凄いスピードで始り、ストレート
なシャッフル・ブルースに劇的に変化する《ジャック・ジョンソン》や、マイルスが当時
の恋人に捧げた麗しの《マイシャ》も素晴らしいのだが、僕のベスト・ソングはなんとい
ってもアルバムの冒頭を飾る《プレリュード》なのである。

この《プレリュード》という曲に、当時友人のトランペッターとバンドを組んでいた僕は
どれほど深く創造性を刺激されたことか。《プレリュード》の素晴らしさは、シンプルな
ファンクのカッコよさ。これにつきる。ワン・コード(というかワン・ノート)でグング
ンとどこまでもいくというシンプルさ。これが堪らない。この方法は、一つの基底音(例
えば”ド”の音)を元にして、その上に色を重ねるように音を重ねていくのであるが、演
奏を行ううえでとてつもない自由な空間を生み出すことができるのだ。例えば冒頭のマイ
ルスがテーマ・メロディを吹く前のところで、ギターのレジー・ルーカス(長年もう一人
のギタリストのピート・コージーだと思っていたが、ルーカスだった)が基底となってい
るコードに対して違うコードをぶつけているところなどがそうだ。マイルスが時々弾くオ
ルガンのコード(というか効果音)なども、基本的には同じものだと考えられる。僕もこ
の手法にのっとってベースとなる音が1つの音(B♭)という曲を創り、いろいろな音を
重ねてみるやり方を自分のバンドで試しまくったものだ。
シンプルなファンクといっても、ジェームズ・ブラウンのシンプルなファンク一発とも違
う。何かがグツグツと煮えたぎっているような、何かハプニングが発生しそうな、そんな
感覚のグルーヴ感だ。イントロともなんともいえない出だしにつづいて始まる、全員合奏
のファンキーなグルーヴ。レジー・ルーカスの”チャカポコ・チャカポコ”というギター
が心地良い。マイケル・ヘンダーソンの重低音ベースが、早くも身体の奥底を揺さぶり始
める。シンプルで単純なグルーヴなのだが、”ガチャガチャ”とエレクトリックでヘヴィ
ーなマイルス・バンドならではのスタイルだ。何かが起きそうな予感を抱きながら聴いて
いると、案の定マイルスが突然オルガンで”ギョエーン”とくる。「カッコええー!、堪
らない!」。オルガンの”ギョエーン”は、《レイテッド・X》(アルバム『ゲット・ア
ップ・ウィズ・イット』に収録)で使って以来、マイルスが味をしめたと思われる手法で
ある。考えてみればこの《レイテッド・X》という曲をスローでヘヴィーなファンクに改
造して、それにテーマ・メロディを”即興的に作曲して”のせたのが《プレリュード》な
のだと考えられなくも無い。
そしてこのシンプルなテーマ・メロディ。これがまた堪らない。冒頭にマイルスが吹くテ
ーマは、たった3つの音しか使っていない。これが素晴らしい。たった3音である。僕も
負けずに創りました。しかし1音多く使ってしまい4音になってしまった。うーん、1音
の壁は厳しい。おそらくこのテーマ・メロディは、バンドのグルーヴに載せて自然にマイ
ルスの中から出てきたメロディ(というかリフというべきか)なのだろう(当時のマイル
スは、”インスタント・コンポジション”という表現を使って自分の音楽を説明している
)。マイルスはそのテーマ・メロディを少しづつ発展させながら、ソロをとっていく。そ
れに合わせてマイルスと完全に一体となったバンドが、曲のグルーヴや場面を様々に変化
させていくのだ。これにシビれた。この当時、そこまで自由な即興性を感じさせてくれる
音楽はなかったのである。ロック・フィールドの即興性を重んじた音楽をやっていたグル
ープ、例えばグレートフル・デッドはダラダラしすぎていたし、キング・クリムゾンはカ
ッチリと構築されすぎている(それがクリムゾンの魅力でもあるのだが)気がした。マイ
ルスの音楽には、ジャズだけではなく、ロックや現代音楽やファンクやボサノヴァなどあ
らゆる要素が入っていた。そして根底に脈々と流れているブルースの魂。当時はメロウな
フュージョン・ブームだったので、「これこそが、真のフュージョンなのではないか」と
思ったりもしたものだ。

この日のコンサートの夜の部を収録したもう1枚のアルバム『パンゲア』は確かに凄い。
しかし『アガルタ』は創造的な感性に訴えかけてくる。完全にマイルス化したバンドの繰
り出す音楽の洪水によって、身体の奥底の部分と創造性が物凄く刺激されてしまうのであ
る。そのような音楽を眼の前に提示してくれたマイルスは、僕の音楽バカ人生に無くては
ならない人になってしまった。僕にとって『アガルタ』とはそのようなアルバムだ。今回
「いーぐる」で聴いて、久しぶりにその感覚を思い出してしまった。今夜ももう一度聴く
としよう。
『 Agharta 』 ( Miles Davis )
cover

1.Prelude, 2.Maiysha,
3.Theme From Jack Johnson, 4.Interlude (Ife, For Dave)

MILES DAVIS(tp,org),
SONNY FORTUNE(as,ss,fl),PETE COSEY(elg,syn,per),REGGIE LUCAS(elg),
MICHAEL HENDERSON(elb),AL FOSTER(ds),MTUME(per)

Recorded : 1975/2/1(Osaka)
Producer : Teo Macero
Label    : Columbia
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