今年も最後ということで、少し日にちは過ぎてしまったがクリスマス・アルバムを紹介し たいと思う。世にクリスマスに関連するアルバムは数あれど、その中の最高峰に位置する アルバムが『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー』だ。いや待てよ。ビーチ・ボーイ ズの『クリスマス・アルバム』もあるではないか。ウーン、甲乙つけがたい。しかし、こ れだけはいえる。『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー』がなかったら、ビーチ・ボ ーイズの『クリスマス・アルバム』は、あそこまでのクオリティを持ち得なかったのでは ないか。ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは、間違えなく『ア・クリスマス・ ギフト・フォー・ユー』を意識してアルバムを作った。アルバムのA面を、自ら創ったオ リジナルのクリスマス・ソングで固めたことがその証拠である。B面は普通のクリスマス ・ソングのカヴァーだが、それだけでは『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー』を超 える作品を創る事はできないとブライアンにはわかっていたのだ。ブライアンにそこまで 考えさせた『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー』のプロデューサーであり仕掛人こ そ、ロック界きっての天才(奇人?)プロデューサーといわれるフィル・スペクターであ る。 天才(奇人?)と呼ばれるフィル・スペクターとはどのような人物なのか。フィルは1940 年にニューヨークに生まれている。1940年生まれというと、あとあと深い因縁をもつジョ ン・レノンと同い年ということになる。少年時代に好きだった音楽は、R&Bやジャズな どの黒人音楽だったという。ジャズ・ギタリストを目指していたとも言われている。有名 なエピソードに、フィルの好きなギタリストであったバーニー・ケッセルに批判的な記事 を書いたジャズ専門誌の「ダウンビート」に抗議の手紙を送り、それが同誌に掲載された というものがある。真意のほどは定かではないが、ケッセルはその後フィルのレギュラー ・セッション・マンとして活躍した。フィルだけではなく、ビーチ・ボーイズの名盤『ペ ット・サウンズ』などでも演奏している。このエピソードが伝えるのは、フィルの偏執狂 的な”こだわり”と、彼ならではの”音楽の捉え方”であろう。たかだか15歳の少年が送 った記事が雑誌に掲載されるには、自分の好きなものへの拘りと、批判的な記事とは異な ったケッセルの音楽に対するユニークな捉え方があったからだと想像する。 そんな音楽好きな少年が進んだ道は、想像どおり友人と音楽グループを組んで音楽をやる ことだった。18歳のフィルは、友人達とテディ・ベアーズというグループを組むことにな る。そのテディ・ベアーズのデビュー曲『トゥ・ノウ・ヒム・イズ・トゥ・ラヴ・ヒム』 (ビートルズも無名時代にカヴァーしている)が、1958年に大ヒットとなる。このままい けば、プロデューサーとしてのフィルはなかったのかも知れないが、メンバーの交通事故 がもとでグループは自然消滅となってしまう。そのことで、フィルも違う道を探さざる得 なくなったのだろう。ニューヨークで、音楽業界の中に身を投じることになる。 その当時のニューヨークでは、エルヴィス・プレスリーのヒット曲等で有名なリーバー& ストーラーに代表されるソング・ライター・チームが数多く所属するブリル・ビルディン グが音楽ビジネスの中心となっていた。フィルは、このリーバー&ストーラーの周りをう ろうろしていたらしい。そのことから考えると、ソング・ライティングの道へと進もうと していたとも考えられる。しかし、リーバー&ストーラーを見出したレスター・シルとい う音楽業界の実力者がフィルの才能に着目する。ここから、プロデューサーとしてのフィ ルが頭角を表してくるのである。レスターは、フィルのどこに着目したのだろう。おそら くは、バーニー・ケッセルの記事への反論に見られたような、フィルの独特な音楽の捉え 方にあったのではないだろうか。そのような音楽の捉え方ができるなら、曲を創るだけで はなくて自分で制作をしてみてはどうかとフィルに進めたのではないだろか。そしてフィ ルはレスターの支援を受けて、楽曲提供やプロデュースの経験を積んでいく。そしてレス ターと共同で、お互いのファースト・ネームを組み合わせたレーベル「フィレス」を設立 するのである。このフィレスから放ったロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』やクリスタ ルズの『ダ・ドゥ・ロン・ロン』などのロックン・ロール・クラシックスで、フィルの名 はロックの世界で不動のものとなっていくのである。そしてこれらのレコードのサウンド は、後に”ウォール・オブ・サウンド”といわれる独特の音圧をもったサウンドで満たさ れていたのである。 『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー』は、ちょうどこの時期の大ヒット連発でノリ にのったフィルが創ったクリスマス・レコードである。収録曲は《ホワイト・クリスマス 》、《赤鼻のトナカイ》、《サンタが街にやってくる》などお馴染みのクリスマス・ナン バーばかり。これらの曲を、この年のトップ10ヒットを放っているフィルお抱えの3組の グループ(ロネッツ、クリスタルズ、ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ)と一 人のシンガー(ダーレン・ラヴ)が歌うのである。これだけでも十分にヒット・アルバム に成り得るため、普通のプロデューサーやレコード会社の企画盤だったらこれでOKとな ってしまうのだろう。しかしここからが、フィルの本領発揮である。フィルはこれらの昔 ながらのクリスマス・ソングを、自らお抱えのセッション・マン達(通称”レッキング・ クルー”)を使って、見事なまでにポップな化粧をほどこしたのだ。”レッキング・クル ー”には、後にスワンプ・ロックの立役者になるレオン・ラッセルなどに混じって、雑誌 に擁護の投稿をした少年時代のフィルのアイドルのバーニー・ケッセルも参加している。 これらの”レッキング・クルー”が繰り出す”ウォール・オブ・サウンド”が物凄い。特 にドラムスのハル・ブレイン(ビーチ・ボーイズやカーペンターズをはじめ、サイモン& ガーファンクルの《明日に架ける橋》やバーズの《ミスター・タンブリンマン》など数々 のヒット曲でドラムをたたいている)のたたき出すビートがすごい迫力である。そのハル のドラムスが大活躍する、クリスタルズの《サンタが街にやってくる》がベスト・トラッ クか。これぞフィル・スペクター・サウンド。いま思いついたのだが、ビートルズの《オ ール・マイ・ラヴィング》の有名なジョンのギター3連弾きは、フィルのお得意のピアノ の3連弾きからヒントを得たのかも知れない。それから松田聖子で青春を送った世代には 懐かしいイントロの《ウィンター・ワンダーランド》や、バブル世代にはマライア・キャ リーのカヴァーが懐かしいかもしれないエリー・グリーンウィッチ、ジェフ・バリーとフ ィルが共作した唯一のオリジナル・ナンバーの《クリスマス(ベイビー・プリーズ・カム ・ホーム》も素晴らしい。そして最後は、フィル御代が自らおでましになっての《サイレ ント・ナイト》で締めくくる。これ以上はないという見事な構成の、ポップ史上最高のク リスマス・アルバムである。