●ジャズから生まれた初めてのポップ・アルバム

最近のCDショップのジャズ・コーナーでは、ブルーノート・レーベルのアルバムが元気
が良い。ブルーノートのアルバムは、ジャケットデザインが良いので目立つのだ。少し前
に日本版の「プレーボーイ」という雑誌で、我が師匠の中山康樹さんが監修したブルーノ
ートの特集があった。雑誌のカラー・ページに並べられた数々のブルーノートの名盤のジ
ャケットを眺めていると、改めてそのデザインのセンスに感心する。ブルーノートのアル
バム・デザインの殆どを担当したのが、リード・マイルスという人物だ。この人はジャズ
に興味がなかったといわれているだけあって、ジャズのイメージとかけ離れたジャケット
も数多い。それでもその殆どが、アルバムに収録された音楽やミュージシャンのイメージ
を見事に伝えているのである。
当時のマイルス・デイヴィスのグループのピアニストだったハービー・ハンコックのリー
ダー・アルバム『メイデン・ヴォヤージ(邦題:処女航海)』も、そのような1枚だ。き
っとこのアルバムのジャケットを制作する際にも、リード・マイルスはプロデューサーの
アルフレッド・ライオンが伝えるハービーの音楽のイメージだけを頼りにしてジャケット
を制作したのだろう。そして出来上がったジャケットは、見事にハービーの音楽のイメー
ジを視覚化していた。水面を風のように横切るヨットの写真。それは暗いライヴ・ハウス
で鳴り響くような一般的なジャズのイメージではなく、ハービーがこのアルバムの音楽の
テーマにしたものとピッタリであった。そのテーマとは何か。アルバムの裏ジャケットに
、ハービー自身の言葉で次のように語られている。

「この音楽は、海の広大さと威厳、処女航海に出る船の華やかさ、楽しそうなイルカの優
雅な美しさ、小さな海の生物達が必死に生きている様子、嵐の物凄い破壊力、船乗りの苦
難などを描こうとした」

海の神秘が、ハービーの創造性を刺激したのだろうか。アルバムに収録された音楽は、そ
れまでのジャズを超えた新しさと瑞々しい感覚に満ち溢れている。ジャズだけではなく、
その当時の全ての音楽を超えた瑞々しさといってしまったら言いすぎだろうか。それは、
スタンダード・ナンバーなどのコード進行を基にした即興演奏を常とするジャズとは、確
実に一線を画している。ハービーはどこかの時点で次のアルバムを海をテーマにすること
を思い立ち、そのコンセプトにそって作曲した作品をそろえてレコーディングに臨んだ。
適当に曲を集めてレコーディングを行い、海をテーマにしたタイトルだけをつけたのでは
ないかという勘ぐりもできるが、そうでないことはアルバムに収録された作品を聴けばわ
かる。ハービーのコンセプトの基に、勇壮な船が進んでいく様子や、波、嵐、海の中の生
物が動く様、その生物達の生存競争、美しいイルカの様子、そしてその側の波間を飛ぶカ
モメなどの様子を、全員そろって一生懸命に音楽で表現していることが伝わってくるから
だ。ハービーは間違いなく、”海”という神秘的で創造性を刺激するテーマを基に作曲を
行いレコーディングに臨んだと思われる。そのようなコンセプト・アルバム的発想は、こ
のアルバムが録音された当時(1965年)のロックにもなかったのだ。ビーチ・ボーイズの
名盤『ペット・サウンズ』は1年後、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー
・ハーツ・クラブ・バンド』は2年後の発売である。この時点で、そのようなコンセプト
に沿ってアルバムが制作されていることも新しさを感じさせる一つの要因となっている。
しかし、このアルバムの音楽が持つ瑞々しさは、やはりハービーの見事な作曲と、まるで
レギュラー・グループのようなメンバーの一体感からくるものである。

メンバーは、マイルスのグループでハービーと共にリズム・セクションを務めるロン・カ
ーターのベースとアンソニー(トニー)・ウイリアムスのドラムス、そしてテナー・サッ
クスもついこの間までマイルスのグループで一緒だったジョージ・コールマンだ。御大の
マイルスは、このアルバムの吹込み時には体調を崩し、入退院を繰り返していたという。
しかしマイルスの影響が無意識にもあったのか、このアルバムの録音は当時のマイルス・
クインテットと同じ編成となっている。マイルスにあたるトランペットを担当するのは、
ハービーの前作『エンピリアン・アイルズ』でも見事なトランペットを聴かせていたフレ
ディ・ハバードである。このようなメンバーの演奏は、レギュラー・グループのような一
体感を醸し出している。同じ編成でも、どこか緊張感溢れるマイルスのグループとは明ら
かに違う。フレディを除く全員が、つい前年までのマイルス・クインテットのメンバーと
全く同じであるのに不思議なことだ。しかしそのような一体感があったためか、わずか一
日でレコーディングされている。これは驚異的だ。日頃演奏し慣れている曲ならば理解で
きなくもないが、おそらくはハービーがこの日はじめて持参した曲が殆どであったはずだ
(3曲目の《リトル・ワン》だけは、マイルス・グループで発表済であった)。海をテー
マにしているとはいうものの、それぞれの曲の雰囲気の違いは、録音が済んでさっと簡単
に切り替えられるものではない。このあたりに、この録音メンバーの緊密さと、ブルーノ
ートならではのマジックを感じる。演奏の面でも、全員が全曲をとおしてハービーの意図
を理解した見事な演奏を聴かせてくれる。特にジョージ・コールマンは、マイルス時代以
上の見事なパフォーマンスだ。そのモーダルな演奏は、当時のマイルス・グループのサッ
クス奏者であったウェイン・ショーターの演奏を連想させるものである。このアルバムは
、ジョージ・コールマンのベスト・パフォーマンスかもしれない。

作曲面では、ハービーが(どういうわけか)本質的に持っているポップな感覚が現れてい
る。特にタイトル曲の《メイデン・ヴォヤージ》は、基調となっているビートが8ビート
ということもあるが、ジャズでないような感覚で、それでいて見事にジャズというなんと
も言い表しがたい新しさがある。もともとはCMソングだったらしい(使用されたものは
、ピアノのみのヴァージョンだという)。だから、なんとなくポップさを感じるのであろ
うか(なぜ、ハービーにCMの仕事がきていたのだろう?)。タイトルのエピソードも諸
説あるようだが、この曲と《リトル・ワン》に関しては、”海”というコンセプトに合わ
せて、出来上がっていたメロディにアレンジを加えていったのだと思う。メロディだけを
聴くと、モーダルなジャズだからだ。その他の曲は、先にコンセプトありきで作曲された
のだと思う。
タイトル曲に続いて、嵐の凄まじさを表したカッコイイ《ザ・アイズ・オブ・ハリケーン
》が続く。この曲は、70年代のVSOPクインテット(このアルバムのメンバーのうち、サッ
クスがウェイン・ショーターに変わったもの)の当り曲となった。凄まじい嵐が過ぎ去っ
た後は、《リトル・ワン》で静けさを取り戻した海の中を見事に描写する。《リトル・ワ
ン》におけるハービーのソロは、このアルバム中もっともメロディックだと思う。《サヴ
ァイヴァル・オブ・ザ・フィッテスト》では、その海の生物達の中でくりひろげられる適
者生存の世界が、いくぶんフリーなタッチをもって描かれる。ここではトニーのドラムが
大活躍だ。どの楽器が何を表現しながら演奏しているのかなどと考えながら聴くと、面白
いと思う。そして最後は、僕も大好きな《ドルフィン・ダンス》。ハービーの、というか
ジャズメン・オリジナルの中でも屈指の大名曲である。《サヴァイヴァル・オブ・ザ・フ
ィッテスト》が”パッパッ”と終わって、この曲の”タラララー”というメロディが聴こ
えてきた時の気持ちよさは言葉で言い表しがたい。この快感は、ジャズの快感とは異なる
ものだ。例えば《モーニン》とか《テイク・ザ・A・トレイン》などが”ブワァー”とく
るときの快感とは、明らかに違う。どちらかというと、バート・バカラックの演奏などの
曲を聴いたときに近い感覚だ。つまり演奏のコーフンというよりも、コンポジションとア
レンジによる快感である。メロディもコード進行(カッコイイ)も、それまでのジャズを
確実に通り越している。このあたりが、ハービーの本質であろう。この曲が入っているた
めに、このアルバムはA面とB面を通して聴いてしまうことが多かった。『メイデン・ヴ
ォヤージ』は、その新しい感覚において確実に当時のジャズを越えていた。そのような意
味では、ジャズの世界から生まれた初めてのポップ・アルバムと言っても良いかも知れな
い。
『 MAIDEN VOYAGE 』 ( HERBIE HANCOCK )
cover

1.Maiden Voyage,2.The Eye Of The Hurricane,3.Little One
4.Survival Of The Fittest,5.Dolphin Dance

HERBIE HANCOCK(p),FREDDIE HUBBARD(tp),GEORGE COLEMAN(ts),
RON CARTER(b),ANTHONY WILLIAMS(ds)
Producer : Alfred Lion
Label : Blue Note
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